明日はムーンデイ、新月です。
アシュタンガヨガでは、ムーンデイには練習を行いません。
そんなムーンデイを前に、アシュタンガヨガの始まりのマントラについて記してみました。
アシュタンガヨガでは、練習の始まりと終わりにマントラを唱えます。
初めて教えてもらった時は、
「こんなに長いマントラを空で唱えるなんて無理だ」
と思ったものです。
それでも今は、
唱えなければ練習が始まらない、そして終わらない、
というくらい、
練習に馴染んだものとなりました。
そんなマントラ。
今回は始まりのマントラについて取り上げます。
終わりのマントラについても記しています。
興味を持たれた方は、以下のページをどうぞ ▼
【始まりのマントラ全文とカタカナ表記】
Om
オーム
vande gurunam charanaravinde
ヴァンデ グルナム チャラナラヴィンデ
sandarshita svatma sukhava bodhe
サンダルシッタ スヴァトマ スカーヴァボーデ
nih shreyase jangali kayamane
ニーシュレヤセー ジャンガリ カーヤマネ
samsara halahala mohashantyai
サムサラ ハラハラ モハシャンティエィ
abahu purushakaran
アーバーフ プルシャッカラン
shankhachakrasi dharinam
シャンカチャクラーシ ダハーリナム
sahasra shirasam shvetan
サハスラ シラサム シュヴェータン
pranamami patanjalim
プラナマミ パタンジャリム
Om
オーム
【単語ごとの意味】
Om
オーム
聖なる音
vande gurunam charanaravinde
ヴァンデ グルナム チャラナラヴィンデ
褒め称えます 偉大な師 蓮華の御足(智慧)にひれ伏して
sandarshita svatma sukhava bodhe
サンダルシッタ スヴァトマ スカーヴァボーデ
覆いを取り除く 私達の真我 至福に満ちた目覚め
nih shreyase jangali kayamane
ニーシュレヤセー ジャンガリ カーヤマネ
完全なる幸福 密林の(=原始的エネルギー) シャーマン(=偉大なヒーリングパワー)
samsara halahala mohashantyai
サムサラ ハラハラ モハシャンティエィ
輪廻 毒 迷妄が落ち着く
abahu purushakaran
アーバーフ プルシャッカラン
上半身 人間の姿
shankhachakrasi dharinam
シャンカチャクラーシ ダハーリナム
シャンカ(ほら貝)、チャクラ(円盤)、アシ(剣)を 携える
sahasra shirasam shvetan
サハスラ シラサム シュヴェータン
千の 頭 白く輝く
pranamami patanjalim
プラナマミ パタンジャリム
伏し拝む パタンジャリに
Om
オーム
聖なる音
【日本語訳】
マントラにはいろいろな訳し方がありますが、ここでは、できるだけ上記の【単語ごとの意味】に沿って訳してみます。
オーム
偉大な師を称えます、その蓮華の御足にひれ伏して。
(師は)私達の真我を隠す覆いを取り除き、至福に満ちた目覚めに導きます。
密林のシャーマンのごとく完全なる幸福をもたらし、
輪廻を繰り返す迷妄の毒を癒してくださいます。
上半身は人の姿をし、
ほら貝、円盤、剣を携える、
千の輝く頭をもつ(竜王アナンタの化身)、
パタンジャリにひれ伏します。
オーム
アシュタンガヨガの始まりのマントラは、自分の本質に対する神聖な宣言です。
自分の本質(アートマン)に完全に身を委ね、グルの導きで迷妄を消し、輪廻からの解放を願う。
そんな意味が込められています。
だから、エゴのためではなく、アートマンのために練習します、という思いを込めて唱えます。
私が教えていただいているヨガ哲学の先生は、
パタンジャリにひれ伏すとは、すなわち自分自身の魂に手を合わせてひれ伏するのだ、
と言われました。
全てをアートマンに捧げる練習。
そんなふうに考えると、
ポーズができるできないだとか、今日は集中できないだとか、
そんなエゴの意識が静かになっていく気がします。
毎日毎日日本語訳を思い出さなくても、
マントラはその音自体が神聖なものです。
胸の前で手を合わせ、マントラを唱えることで、
エゴの意識からアートマンに繋がる意識へと切り替える。
それを宣言するために、
今日もマントラを唱えます。