《書評》『やまだ眼』山田 一成、佐藤 雅彦

読書

穂村弘さんの著書『あの人に会いに』に登場されていた映像作家、
佐藤雅彦さん。

お二人の対談のなかで、穂村さんが
「新聞歌壇の評では、歌の中では言語化されていないんだけど、
 その歌を書いた人のセンサーが感じ取っていることを明らかにしようとしている」
と話されていました。

その対談の中で本書のことを
「曖昧なものを言語化しようと試みている」
と紹介されており、
曖昧なものがどう明らかになるのか興味が湧きました。

やまだ眼 [ 山田 一成、佐藤 雅彦 ]

本当の自分を表に出す

佐藤さんがまえがきで書かれている
「やまだ眼」というまなざし

それは、
山田さんの世の中を見る独自なまなざしです。

そのまなざしが鋭い。
世の中に点在する微妙な真実を見抜いて切り取った、
山田さんのネタ(つぶやき)。

その短いネタを読むと、
表層の自分が曖昧にしている、
けれど
自分の奥底の本当の自分は気づいていた事実
に直面します。

そして、
ドキッとしたり、
思わずプッと笑ったりしてしまうのです。

 海やプールで遊ぶって、
 どうやって遊んだらいいか
 わからない時がある。

[解説]  
 この十何年かで、すっかり苦手になった言葉がある。それは、「遊び」という言葉である。現代においては、人生に遊び的な要素を取り入れることが良しとされている風潮がある。そしてそんな「遊び」ごころのない人は、窮屈で面白みのない人間に見られる。国は休日とレジャー施設を増やし、雑誌もテレビ番組も、いろんな趣味や楽しみを記号的に紹介してくれ、遊びのうまい人生の達人への道を記号的に示してくれる。でも、僕たちに本当に必要なのは、楽しげに時間を潰すことなのか。子供の時の遊びは、時間潰しでも気晴らしでもない、真剣だった。実は僕も、山田さんと同じく、海やプールを前にして、途方にくれる一瞬がある。
(佐藤雅彦)

p82

この本が面白いのは、
鋭いやまだ眼の捉えたものを、
佐藤さんが的確に解説し、
私たちを
意識の深いところへ導いてくれるからです。

山田さんのネタが、
意識の低層をかすかに、
あるいは大きく揺らします。

山田さんのネタだけでも揺れますが、
なぜ揺れたのか、
時に曖昧です。
そこに佐藤さんの解説を読むと、
揺れた理由が明確になるのです。

それは、
ぱーーーっと視界が開けたような
すっきりとした爽快さです。

私たちは、
意識下に何かがあることを薄々知っていながら、
知らないふりをすることがあります。

ふりをする以前に、
意識に上がってこようとした何かを、
即座に消去している場合さえあるかもしれません。

私たちがそのように、
真実を自分に隠すには
何か理由があるのでしょう。

「その方が楽に生きられるからだろう。」
と佐藤さんはいいます。

山田さんのネタは、そんな意識下にアクセスしてきます。
普段は素通りしてしまう意識の揺れ、
自分の奥に沈んでいる本当の自分、
そんな自分がふっと表に出てくるのです。

その本当の自分が今の自分に少し重なってきたような気がする。

そんな体験をさせてくれる本でした。

やまだ眼 [ 山田 一成、佐藤 雅彦 ]

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