《書評》『汝、星のごとく』凪良 ゆう

読書

本書で著者が二度目の本屋大賞を受賞した時でしょうか。
書店の入り口で見かけた大きな広告の色彩に目が引き寄せられ、
何とは無しに図書館で予約をしていました。

予約はしたものの、人気の作品。
なかなか順番が回ってこず、なぜ予約したのかも忘れかけた頃、
資料確保のお知らせが届きました。
早速図書館に向かい、詳しい内容も知らぬまま、最初のページをめくりました。
( 結末を暗示する内容が含まれています。これから読まれる方はご注意ください。)

汝、星のごとく [ 凪良 ゆう ]

一緒にいさせて

抗えない境遇の中でもがいている二人。
父親の不倫で壊れていく母を抱えた暁海(あきみ)と、
恋に生きる母親に翻弄されてきた櫂(かい)。

風光明媚な瀬戸内の島で出会った高校生の二人は、
お互いの欠けたものを埋めるように自然に惹かれ合います。

親しく話したこともないのに、櫂の隣で泣きたいほど安堵した。
人の気配は邪魔なはずなのに、暁海ならいいと思えた。

不思議なほど話が尽きない。
心地よく、どれだけ話しても物足りない。
もっと話していたいのに、時間はすぐに過ぎていく。

二人は同じ群れの仲間。
やっと出会えた。
この二人でなら、広い世界へ出ていける ──

ですが、そんな高校時代にも終わりがきます。
母を捨てきれない暁海は島に残り、櫂は単身東京に乗り込みます。

今でも愛している。

愛しているのにすれ違い、
愛しているのに衝突し、
別々の空間で時を刻む。

俺は、
わたしは、
どうしたいのか。
どうありたいのか。

考えて、
考えすぎて、
身動きできず、
ままならず、
悲しくて寂しくて不安で、

苦しい時が過ぎていきます。

 わたしはきっと愚かなのだろう。
 なのにこの清々しさはなんだろう。
 最初からこうなることが決まっていたかのような、この一切の迷いのなさは。

p310

人間は矛盾の固まりで、
そんな固まりを抱えて自分の今を生きています。
正しさはなんの力にもならず、
弱い自分の鎧は剥ぎとられ、
目の前に差し出された自由はとてつもなく怖く、
己の勇気を試してきます。

何度も何度も問われます。

何を捨てて何を選ぶのか。

親、子供、配偶者、恋人、友人、ペット、仕事、
形のない尊厳、価値観、誰かの正義、自分の矜持 …

自分が選んでつかんだ今。
自由で。
満足していて。
なのに、この欠落感はなんなのか。

── それは、
まだ問い続けろという魂の叫び。
元々あったたったひとつの望みに辿り着くために、
問い続けろという魂の …

読みながら、やりきれなさに胸が痛くなりました。
ただ愛しているだけなのに。
ただ一緒にいたいだけなのに。
どうして。どうして。どうして。

でも、
その「どうして」を噛み砕き、飲み下し、昇華した先に手にしたものは、
たったひとつを選び取るための力でした。

北原先生の言葉が響きます。
「誰がなんと言おうと、ぼくたちは自らを生きる権利があるんです。」

自らを生きる。
自ら選んで、自ら決断して、自らのたったひとつの望みのために、
生きる。

プロローグで見せられた不自然で破綻した家族の光景が、
エピローグでは優しさに満ちた穏やかな情景へと変化します。

移りゆく時間の中で、
そっと鼓膜にふれてくる彼の声。

最後まで心が切なくなる物語でした。

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