《書評》『人は、なぜさみしさに苦しむのか?』中野 信子

読書

昔から、得体の知れないさみしさに囚われる時がありました。
理由はわかりません。
朝、目覚めた瞬間に、既にさみしさに浸っていることがあります。
日中のふとした瞬間に、さみしさが忍び込んでくることもあります。

だから、
そのさみしさがどこからくるのか、
なぜそんな感情になるのか、
ずっと疑問に思っていましたし、
できればそんな感情は手放したいと思ってきました。

「その解決の糸口が見つかるのではないか」と
この本を手に取りました。

人は、なぜさみしさに苦しむのか?[ 中野 信子 ]

さみしさは克服しなくていい

この本を読むまで、さみしさはネガティブな感情で、
「できればないに越したことはない」
と思っていました。
さみしさの原因は自分にあり、
さみしさに囚われる自分を弱いものだと責める気持ちもありました。

でも、この本によると、
さみしさは、人類にとって生存戦略のひとつ
だと考えられるのだそうです。

人類は、
「現代社会」と呼ばれるいまの世界になるまでの多くの時間を、
集団で狩りをして過ごしてきました。
そんな人類がここまで生き延びることができたのは、
より濃密で、極めて高度な社会性を持つ集団をつくることに長けた生物だったからです。

そして、その社会的結び付きをより強く維持するために、
集団でいるときは心地よさや安心感を抱き、
孤立すると不安や寂しさを感じるようになったのだそうです。

つまり、そうしたシステムが私たちの遺伝子には組み込まれており、
食欲や性欲と同じように、
さみしさも意志の力で簡単にコントロールできない「本能」なのです。

であるならば、
さみしさを悪だとし、さみしさを克服しようとすることは、
本能に逆らう不自然な努力なのかもしれません。

「脳を使って自分で考える」という行為は大量のエネルギーを要します。そのため、多くの人は「偏見」「思い込み」「レッテル貼り」「先入観」「ステレオタイプ(多くの人に浸透している固定観念やイメージのこと)思考」などに頼り、手間ひまをかけて思考することを停止し、どこかで聞きかじった意見を、さも自分で考えて決断を下したかのように錯覚しています。

p274

私の頭には、
「さみしさは克服しなければいけない」
「さみしい人は幸せになれない」
といった価値観や先入観が刷り込まれていました。
さみしさなど感じずに生きていきたい、という思い込みもありました。

なぜそれらが刷り込みや思い込みなのか。

それは、
「さみしさを感じないことは本当に幸せなのか?」
と考えたことがなかったからです。

これこそが、思考停止状態です。

そうした思考停止状態が、
さみしいという感情をより重く、ネガティブなものへと固定させていました。

でも
さみしいときもあるけれど、人はそういう生き物だから気にしなくても大丈夫。
それでもいい人生を生きていける。
と捉え直せれば、
さみしいという感情が湧いてもそう悲観的にならず、
気楽に受け止めることができるようになる気がします。

現代では、
タイパ(タイムパフォーマンスの略)のように根拠のよくわからない価値観が広がったり、
情報の洪水にも凄まじいものがあります。

そんな中で思考停止に陥っては、
他人の価値観、世間の価値観に洗脳されたまま、
それに気づくこともなく生きていくことになります。

この本を読んで、
さみしさに対する私が持っていたネガティブな印象も、
そういう洗脳の一つだったのだと分かりました。

さみしさは、人の進化の源につながる本能であり、脳が正常に機能している証拠

そう考えると、さみしさに対してネガティブなだけではない、
太古の昔からこの私に連綿とつながれてきた、温かさのようなものを感じることができました。

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