燃え尽き症候群(バーンアウトシンドローム)。
いつ頃からかよく耳にするようになった言葉で、文字面には馴染みがありました。
いやもしかして、自分もその状態に陥ったことがあるような気もします。
でも、あれは本当にそうだったのか?
…… そんな感じで、正確に理解しているとは言い難い「燃え尽き(バーンアウト)」。
本書はそんなバーンアウトについて詳細に書き記されている一冊です。
バーンアウトを今一度理解するために、読んでみることにしました。
なぜ私たちは燃え尽きてしまうのか [ ジョナサン・マレシック ]
人間の尊厳
本書は、誰が見ても最高の職に就いていた著者が燃え尽きた、すなわちバーンアウトしたことによって執筆されました。
自分の得意分野を教える大学教授として働き、給料を十二分にもらい、手当も申し分なく、講義や研究の進め方を自由に決められ、その上終身在職権まで得ていた著者。
そんな著者が、朝になっても出勤の準備ができず、何時間もベッドで横になったまま、同じミュージックビデオを繰り返し見つめる ──
著者は当初、恵まれた職に就いていながら頑張れないのは、自分に問題があるからだと考えていました。
こんなに恵まれた境遇にいながら、なんの文句があるのだ? と。
しかし著者は、やがて気がつきます。
バーンアウトは、単にひとりの労働者が絶望しているというだけにとどまらない、
もっと大きな問題なのだということに。
そこから、著者のバーンアウトに対する検証が始まります。
バーンアウトを文化的な問題としてとらえ、その歴史をたどります。
次にさまざまな科学的知見を総動員し、バーンアウトの定義を定めます。
そして、
バーンアウト文化に終止符を打つための考え方を提案し、
仕事を人生の中心に据えない新たな文化の創造について論じていくのです。
私は本書が、仕事は私たちに尊厳を与えるものでもなければ、私たちの人格を形づくるものでも、生きる目的を与えるものでもない、ということを人々が理解する一助になってくれることを願っている。仕事に尊厳を与えるのは私たちであり、仕事の性格を形づくるのも、人生のなかで仕事をどう活かすかを決めるのも私たち自身だ。
p9
本書を読むと、確かにバーンアウトは文化なのだ、と納得できます。
長い歴史の中で私たちの精神に刷り込まれてきた、仕事への理想。
「一生懸命働けば良い人生が送れる」というその理想はほぼまやかしですが、
私たちにはその理想が深く強烈に刷り込まれています。
良い人生とは、物質的に恵まれているというだけでなく、
社会的尊厳、道徳的人格、精神的目的にも恵まれた人生ですが、
現代社会は働くことがあらゆる意味での繁栄につながるかのような、まやかしのもとに設計されてきました。
しかし、このまやかしは哲学者プラトンが「高貴な嘘」と呼ぶもので、
社会の基本的な仕組みを正当化する一種の虚構にすぎません。
実際に、1970年代以降のポスト工業化時代、不安定な労働環境、コミュニティの崩壊、不適正な報酬、裁量権の無さ、不公正性などは急速に拡大し、
「働けば幸せになる」というまやかしは随所で綻びを見せているのに、
それでも私たちは仕事への理想を捨てきれません。
私たちは仕事を通して自分を理解し、自身のアイデンティティや良い人生を送る能力を、仕事に明け渡してしまっているのです。
そうしていつか、バーンアウト(燃え尽きる)。
バーンアウトは私たちの「魂の病」でもあるのです。
私たちがバーンアウトから逃れることができないのは、
仕事をその人の価値、その人のアイデンティティだと錯覚しているからです。
仕事が人に尊厳、人格、目的を与えるのだと、
間違って思い込んでしまっているからです。
でもそうではないことを、今の現実が証明しています。
仕事は私たちに、尊厳も人格も目的も与えてはくれません。
それに気づかず(あるいは気づいているのに認めることをせず)仕事に理想を持てば持つほど、理想と現実とのギャップに苦しみ、バーンアウトへの道を突き進むことになります。
大切なのは、人間の尊厳は何ものにも依ることなく普遍的に認められるものだという認識です。
仕事をしていなくても尊厳や人格、目的意識を保って生きている人たちは現に存在し、
彼らは仕事に依存しない、もっと人間らしいより良い人生を構築するために日々を生きています。
それは今の常識ではないかもしれませんが、ロボット革命がさらに進んだ数年後、数十年後には常識になっているかもしれません。
高貴な嘘にいつまでも欺かれ、自分の人生を仕事に明け渡したままでいるのか、
それとも、
高貴な嘘を拒絶し、労働倫理とは異なる土台のうえで人間として花開くのか。
そんな選択の時が来ていることを突きつけてくる一冊でした。