図書館で著者の『ヘヴン』を探している時、
たまたま近くにあった本書。
見るともなく目次を開くと、
「『ヘヴン』をめぐって」
という文字が目に入り、
『ヘヴン』と一緒に借りていました。
『ヘヴン』読後の参考に借りたようなものですが、
それ以外の対談も興味深い内容でした。
とてもとても知りたい
芥川賞作家の著者が、
敬愛する作家や生物学者、哲学者、精神科医ら6人と語り合う
対談集です。
相手は違っても、その対話はどれも哲学的で、
読んでいる私はその内容全てを、
すんなりとは理解できません。
話されている川上さん自身、途中で考え込むこともあり、
それでも諦めずに対話を続ける好奇心と知力が、
内容をとても深いものにしています。
この対談、この経験、この記憶や思い出、この痕跡…
それら全てがいつかは消滅する。
それでも知りたい、という強いエネルギーに魅了されました。
でもこれが(自分を指さして)ムラであり、分子レベルではどんどん入れ替わって流転する仕組みにあっても、なぜかやっぱり代えのきかない「私」というものがここにはあって、なにかしらそこには「スペシャルで一度切り」のものがある、それを経験していると感じざるを得ない感覚があります。科学的な説明が常に取りこぼすしかない現象が起こっているとしか思えないところがあります。
p63
科学が発達し、さまざまなものが細分化されている時代です。
西洋医学が勢いを増し、人間のカラダもどんどん細分化されています。
人体をパーツに区切り、臓器は機械の部品のように扱われる。
でもその実態は、ムラのある分子であり、
常に入れ替わり、
流転し、
たまたまそこに密度高く淀んでいる、
そんな集合体にすぎないのだそうです。
そんな流れの中にあっても
入れ替わっているとは思われない「私」という意識。
その「私」という意識が、
時として(いや、ほとんどの場合)自分を苦しめるのですが、
それでも、
その代えのきかない「私」というものがあるからこそ、
この生を体験できるのだと思います。
『ヘヴン』の参考に借りた本書が、
知力の紡ぎ出す難解で、
にも関わらず面白い対話の世界を
私にみせてくれました。
対談相手が全員、その道に精通している方々ということもあり、
会話が深く深く進みます。
それはしばしば私を(読者を)置き去りにする勢いで、
ちょっと途方に暮れそうにもなる時もあるのですが…
でも読むのをやめられないのは、
分からないなりに面白さを感じるからです。
最後を締めるのは、哲学者・永井均さんとの
『ヘヴン』をめぐっての哲学対話。
永井さんの解釈、
川上さんの意図、
読中には知る由もなかったあれこれがふんだんに語られ、
ヘヴンの世界が広がりました。
そしてそれは、私の世界も同様に…。