《書評》『不便益のススメ : 新しいデザインを求めて』川上 浩司

読書

最近、便利という言葉がすこし苦手です。

効果、効用、効率的、
コスパ、タイパに最近はスペパという言葉まであるらしいのですが、
そこに潜んでいる密かな押し付けがましさに、
どうも違和感を感じるのです。

以前はそんなふうに感じなかったのになぁ。
効果、効用、効率重視。
できるだけ効果的に、
できるだけ効率的に、
簡単便利で時短。
最高!

…だったのに、それが居心地悪くなったのはなぜだろう。
そんなふうにもやもやしている時に、この本を見つけました。

不便益のススメ:新しいデザインを求めて[ 川上 浩司 ]

無駄なムダと無駄でないムダ

手間をかける、という言い方があります。
時間や労力をかけて、丁寧にものごとを行うことです。
手間をかけるからこその益があり、
この時の手間は無駄ではありません。
つまり、「無駄でないムダ」です。

私は、時間に余裕のある朝、コーヒーをドリップで淹れます。
インスタントに比べると、時間も労力もかかります。

フィルターに粉をセットしたら、横から軽くポンポン叩いて表面を平らにします。
その表面にお湯をすこし注いで、しばらく蒸らします。
全体が蒸れた感じになったら(長年のカンです)、ゆっくりゆっくりお湯を注いでいきます。
粉がフワーっと膨らみます。
焦ると膨らみがベチャっと壊れて「あーぁ」。
ちょっと残念な気持ちになります。

気を取り直して、ふたたび丁寧にお湯を注ぎます。
途中で膨らみが復活してくれることも。
いかにも美味しそうな泡。
コーヒーを飲む前から、視覚がおいしいです。
膨らむ泡とドリッパーの下からポタポタと落ちていくコーヒーのしずく。
どんどん気持ちが落ち着いていきます。

───・・・ ・  ・

味がどうこうというよりも、この工程自体が楽しくて
今朝もドリップでコーヒーを淹れました。

この時間は無駄なのでしょうか。
この工程は無駄なのでしょうか。

確かに
「そんなに時間と労力をかけてコーヒーを淹れるなんて意味ないよ」
と思う人には無駄なのでしょう。

でも、私には、心と生活を豊かにしてくれるひとときです。

この手間が、
便利追求の進むほど、
「無駄なムダ」と一緒くたにされていくような気がします。

手間といえばムダ。
手間はいつでもネガティブで、できるだけ避ける方がいい。
ムダと手間の同一視。

本当は、同一ではないはずなのですが。

「ベスト」とか「最も」とかを便利なものは提供してくれますが、どういう意味で「ベスト」なんだろうと思いました。 

p22

効果効用効率重視の世の中で、
かつて、
便利という言葉はよいものでした。

便利は生活を豊かにし、
生活に余裕を持たせてくれるはずでした。
はずだったのに、
どうもそうにはなっていないような…

便利とはなんなのでしょう?
工程をすっ飛ばしたら便利?
時短になったら便利?

そんな単純なものではないし、
「ベスト」や「最も」といった価値観も、人それぞれです。
「ベスト」は自分の外のものさしで測れるものではなく、
自分のなかにあります。

それなのに、
便利という言葉は、
強引に外のものさしを押し付けてくるような感じがします。

時々、
ガラス扉の前でボーッと立っていたり(自動ドアだと思った)、
蛇口の下に手をかざしてボーッと待っていたり(センサー方式だと思った)、
することがあって、「おっ」となります。

便利が前提になっている社会で、それに慣れきっている自分に「危ないあぶない」と感じます。

便利が悪いわけでも、
不便が良いわけでもありません。
ですが、
「なんでも便利なほうがいいに決まっている」という考えが、
横行している気がします。

便利追求は、
手間を無駄だと削ぎ落とし、
そこにあるかもしれない楽しさを、
いつの間にか排除してしまっているのかもしれません。

この本で不便益を知ることは、
便利という言葉になぜもやもやしていたのか、
そのワケを教えてくれました。
そして、
便利追求が見逃している大切なことに再び目を向ける、
きっかけを与えてくれました。

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