《書評》『こころの処方箋』河合 隼雄

読書

先日読んだ、武田砂鉄著『わかりやすさの罪』の中で、
この本についての文章がいくつか出てきました。

「人間が勝ち負けに急ぎすぎていること、
 それこそ、論破する快楽を求めすぎていることを諭す。
 論破などできないし、そもそも理解することはできないのだと知らせる。
 それは、こころの持ち方としてとてつもなく自由である。」

「この本が教え諭すことのひとつは、
 人のこころを理解することはできないという、
 なかなか清々しい諦めである。」

うーん、面白い。
これはぜひオリジナルを読んでみよう、と読み始めました。

こころの処方箋 [ 河合 隼雄 ]

「常識」を売物にしていいのだろうか。

ヨガ哲学に出会うはるか前、
どうしてこんなに生きづらいのかと思うことが日常だった頃、
河合先生の本を読み漁っていました。

この本もそんな中の一冊だったようで、
章題まわりに描かれているこころのイラストが目に入った瞬間、
「あっ、これ見たことある」
と気がつきました。

とは言うものの、本の内容はすっかり忘却の彼方。
初めて読むかのように、すぐに夢中になりました。

単行本としては30年以上も前に出版されたものだというのに、
その優しさとおおらかさは全く色褪せていません。

それは、河合先生があとがきで書かれているように、
「常識」が書いてあるからなのでしょう。

あとがきには、

「現在は『常識』が、あまり知られていない時代なのではないか。」
「大体、常識というものは家庭や地域内で、人から人へと伝わるものである。
 その機会があまりにも減少し•••」

と書かれていますが、
このあとがきが書かれたとき以上に、常識が人から人へと伝わりにくくなっていると感じる現代。

本書に書かれた55章の内容が常識であるのなら、
できるだけ多くの人に伝わってほしい内容だと思いました。

 毎度のことながら、ここにも正しい答などはない。各人は己の器量と相談しながら、自分の生き方を創造してゆくより仕方がない。「幸福」は大切なことながら、人生の究極の目標にするのはどうかと思う、というところだろう。

p225

本書を読んでいると気持ちが楽になっていくのは、
河合先生の言葉に、
断定的に物事を決めつける感じが全くないからなのだと思います。

生きることの難しさや問題と対峙するときの気構えなど、
耳の痛いことばも出てはきますが、
だからと言って否定や非難されている感じはありません。

人間とは、人のこころとは、その精神のはたらきとは、
それほどに複雑で矛盾に満ちており、
そう簡単に「わけのわかる」ものではないのだと、55章にわたって教えてくれるのです。

私が生きづらさに苦しんでいた頃、おそらく私を助けてくれた一冊。
長い年月を経て、再び読むことができてよかったです。

当時の生きづらさが完全になくなったと言えば、嘘になるでしょう。
生きている限り、
難しいこと、わからないことに出会い、
自分で咀嚼し、
ある時ふと腑に落ちる感覚を覚え、
でもまた新たにわからないことに出会う。

それを繰り返していくのだと思います。

そんな日々の中で、河合先生の教えてくれる常識を呪文のように唱えたら、
これからも自分の生き方を創造してゆける
そんなふうに力づけてくれる55章でした。

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