《書評》『プラテーロとわたし』J.R.ヒメネス、絵=長 新太、訳=伊藤武好/伊藤百合子

読書

詩人であり、絵本や随筆の傑作も多い長田弘氏。
そんな氏の数ある著作のなかで、私が初めて手にしたのは『私の好きな孤独』でした。

そのエッセイのなかで紹介される書籍や物事はどれもが魅力的で、モチーフとなる作品を確認しながら読み進むことになりました。

そんな中でもひときわ心惹かれた作品があります。

「読むまえと読んだあとでは、世界がまるでちがって見えてくるような本がある。」

それが、遥か遠くアンダルシアの地で紡がれた、ヒメネスと銀色の小さなロバ、プラテーロとの日々を綴った物語(散文詩)です。

プラテーロとわたし [ J.R.ヒメネス ]

私のプラテーロよ

プラテーロ。
小さくて、ふんわりとした、綿毛のロバ。
私がやさしく「プラテーロ」と呼ぶと、笑いころげるような軽やかなあしどりで、なんとなく牧歌的な鈴の音にも似たあしおとをひびかせながら、かけよってくる ──

スペイン南部のアンダルシア地方、モゲールに生まれたヒメネスは、子どものころから静かな、考え深い少年でした。
17歳のとき、彼の最初の詩が新聞に発表されると相当な評判になり、文学の勉強に専念するようになりました。
首都マドリッドに出て活動しますが、精神的な病のために療養所生活にはいり、21歳のとき、故郷モゲールにもどることになります。
その後も父母の死、敗北感、自殺への誘惑、死の恐怖、疲労などにたえず悩まされていましたが、モゲールの自然が彼を落ち着かせ、癒していくのです。

アンダルシアの故郷、田園風景ひろがるおだやかな空気のなかで、静かに詩作に没頭した日々。
そこに寄り添うプラテーロ。
詩人とプラテーロの、やさしい季節がめぐります。

ごらん、プラテーロ。
── さあ、ゆこう。プラテーロ ……
ほら、プラテーロ。
きょうはまた、ずいぶんときれいだね、プラテーロ!
── あのね、プラテーロ。
そうだ、プラテーロ。
今日の午後の空は、なんて美しいのだろうね、プラテーロ。
もっとそばに寄っておいで、プラテーロ。さあ ……
ここなんだよ、プラテーロ。
静かに、プラテーロ …… チョウをごらん。
いとしいプラテーロよ、よく走る私の小さなロバよ。

プラテーロよ ……

 プラテーロはふたたび鳴く。私が、彼のことを思っているのを、知っているのだろうか? そんなことはどうでもいい。夜明けのやさしいひととき、彼のことを思っているのが、夜明けそのもののように私には快いのだ。

p244

どんなときにも、どんな季節にも、詩人とプラテーロはいっしょです。
そして、いつでもどこでも、優しく語りかけるのです。

「ねえ、プラテーロ」。

のんびりとすすむ小径、町のたそがれ、ねむたげな牧場、丘の頂き…
プラテーロを好きなところへ行かせたら、それはいつでも詩人の好きなところ。
プラテーロは知っています。
詩人が好きな松の木の下。
古い泉へ抜ける小径の楽しみ。
丘の上から川を眺める喜び。
そして、
詩人がプラテーロを愛していること。

この愛おしさはなんなのでしょうか。
詩人とプラテーロがゆく。
そこは常に、あたたかさで満ちています。

綴られるのは、アンダルシアのごく平凡な日々の風景です。
それなのに、ページをめくるうちに自分の中が、静けさと穏やかさに満たされていくのを感じます。

いとしいプラテーロは、ある朝、わらの寝床に横たわり、
二度と再び立ち上がることはありませんでした。

── わが友、プラテーロよ!……
プラテーロ、答えておくれ。
プラテーロ ……

そして、プラテーロを見送った詩人も、76歳でこの世を去りました。

今はもういない、詩人と銀色の小さなロバ。
ふたりが紡いだあたたかい日々。
そこには、日常に秘められたよろこびが静かに満ちており、私の中にもやさしく広がってゆきました。

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