《映画レビュー》『オッペンハイマー(2023)』 欲望というアクセル

映画

第96回米アカデミー賞で作品賞ほか最多7冠を受賞した本作品。
原爆の父として知られるオッペンハイマーの名がそのまま題名となった映画、
最近では珍しい3時間の長編、
そこでどんな世界が展開されるのか、
公開直後に観にいきました。
 ( 結末を暗示する内容が含まれています。これから鑑賞される方は、ご注意ください。)

作品情報
製作年:2023年
製作国:アメリカ
劇場公開日:2024年3月29日
上映時間:180分
監督・脚本:クリストファー・ノーラン
原 作:カイ・バード、マーティン・J・シャーウィン『オッペンハイマー
     (2006年ピューリッツァー賞受賞/ハヤカワ文庫)

あらすじ
1926年、J・ロバート・オッペンハイマーは、イギリスのケンブリッジ大学で実験物理学を専攻していました。
精神的に未熟で、ホームシックにかかりながら学ぶ日々。
そんなオッペンハイマーが、原子爆弾開発の「マンハッタン計画」を主導することになります。
時は1942年。
オッペンハイマーは原爆開発の極秘プロジェクトへの参加を打診されます。
この前年、アメリカは第二次世界大戦に参戦。
ナチスドイツによる原爆開発が時間の問題だとされていました。
彼は参加を快諾し、ここから全てが始まるのです。
彼が初代所長を務めたロスアラモス国立研究所の草創期は活気にあふれています。
いずれ劣らぬスター科学者たちが全米から集まり、国家の存亡をかけた核開発へと邁進。
国のため、兵士のため、必要なことをしているのだという熱意、情熱、
そして、
科学者として宇宙の真理を垣間見たいという欲望。
いつしか、ブレーキの効かないエネルギーは破滅へと突き進んでいきます。

主 演
J・ロバート・オッペンハイマー(キリアン・マーフィー)
アメリカの理論物理学者。
第二次世界大戦中に原子爆弾の開発・製造を目的とした「マンハッタン計画」を主導。
移動先の国の言語を数週間で習得するシーンが出てくるように、
天才科学者ではあるのですが、
生きる上でのバランスを欠いています。
能力は一流なのに、社会的には問題がある。
そんな彼に対し、

科学を殺戮兵器として使用することに躊躇する向きもありました。
それにもかかわらず
彼の欲望が、
時代の流れが、
躊躇を跳ね除け押し流し、止められない勢いで進んでいきます。
演じるのはキリアン・マーフィー
アイルランド出身の映画、舞台俳優です。

これまで、ノーラン監督の映画5作品に出演し、この作品で初めて主演を演じることになりました。
若き学生時代から栄光と没落の生涯、人間の矛盾や業を演じきり、
第96回米アカデミー賞で主演男優賞を受賞されました。

欲望

この原爆装置を爆破させれば、大気が発火し、地球全体を破壊するかもしれない──

その可能性は、ほぼゼロ
逆に言えば、可能性があるということ。

マンハッタン計画に関わっていた人たちは、
ある時この可能性に気づきます。
大気が発火し、地球全体が破壊される。
つまり、この地球がなくなるのです。

その可能性がある
それでも彼らは計画を前に進め、ボタンを押したのです。
知りたいが故に。

自分たちの理論は正しいのか。
自分たちが開発した装置が理論通りの結果を生み出すのか。
かつてなかったものを生み出せたのか。
宇宙の真理に触れられたのか。
知りたい、
確認したい、
もっと、もっと、もっと…

欲望

その抑えきれない欲望が、
人間に植え付けられた欲しがる心が、
禁断のボタンを押させてしまうのです。


   世界は恐れない
   理解するまでは
   世界は理解しない
   それを使ってしまうまで

物理学者は、凡人には計り知れない天才的頭脳を駆使し、
宇宙の真理を探究します。

原爆開発もそうした探究から始まりました。
まずは理論上で。
次は実験室で。
そして実演。
最後は、本番です。

理論上ではあり得ないことが、実験室で起こる。
そこは、神の領域。
人間にはまだ届かない、
神のみぞ知る領域です。

その領域では、どんな法則が働いているのか分からない。
それでも人は、
実験室で再現できたらそれを手掛かりに新たな領域に進んでいきます。
たとえどんな法則が働いているのか分からなかったとしても。
たとえ地球が消えてなくなるとしても。
それを可能たらしめるのは、欲望です。

欲求や欲望はアクセルであり、理性はブレーキです。
アクセルとブレーキを適切に取り扱い、
望ましい方向へ進んでいる間はいいのです。

恐ろしいのは、ブレーキの崩壊。
アクセルベタ踏みで終焉へとまっしぐら。

原爆投下までの余裕のない進行は欲望の連鎖です。
開発する人も、
それを使う人も、
ブレーキ崩壊、
アクセル全開、
勢いにのまれて行き着くところまで行ってしまう。
──── そんな一幕でした。

原爆投下後、
オッペンハイマーは自らの招いた惨事に深く苦悩し、
水爆開発に反対します。

ですが彼は天才です。
先見の明もあるでしょう。
原爆を投下したら何が起きるのか、予想していたはずです。

実際に原爆開発初期から
核分裂で世界が崩壊する影像が彼の脳裏に繰り返し浮かんでいます。
それでも彼を前に推し進めたアクセル。
欲望
その欲望の強さ、
想像では我慢できない欲しがる心に驚愕します。
でもそれは彼だけでなく、人間全てが持っているものなのです。

プリンストン高等研究所でオッペンハイマーの同僚だったアインシュタインは、晩年、
「科学者の拓く道は優れた思想の統制のものになければならない」
と主張していたそうです。
これは、科学者に対してだけの言葉ではありません。
自分の思想を管理すること。
理性で欲望を制御すること。
それは、
ベタ踏みのアクセルを適切な強さに保つためのブレーキです。

拡大する遺伝子組み換え、ゲノム編集、生成AI…
そこに理性は働いているのでしょうか。
神の領域に無造作に手を突っ込んではいないのでしょうか。
暴走した科学技術が生み出した核の世界が今の時代に続いており、
今の時代が未来へと続いています。
当たり前のように、未来に続いていくと信じています。

本当に?

── 望むべくは、
科学を正しく使い、
地球を消滅させない未来に

今一度、人間の、自分の、アクセルとブレーキに
目を向ける必要を感じました。

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