《書評》『新 失敗学 正解をつくる技術』畑村 洋太郎

読書

詰め込み教育偏差値偏重時代を過ごしてきたからか、
こんな不確実な時代においてさえなお、
唯一の正解というものを無意識に求めている時があります。

ヨガ哲学の先生にも、よく
「頭で考えすぎる」
と言われます。

そう言われても、長い間の習い癖。
そうやすやすとはなおりません。

正解を求めるというのは、
裏を返せば失敗に抵抗しているということでしょうか。
そんなことを考えている時に、この本を知りました。

新 失敗学 正解をつくる技術 [ 畑村 洋太郎 ]

頭でわかっていることと、実際にやることの大きな違い

昔は、頭に知識を詰め込んで、全てをわかったつもりでいました。

いっぱい勉強して、難しい本を読んで、
人が(といっても自分が関わる狭い範囲の人たちが)知らないことを自分が知っていると、
それで何かをわかっている気になっていました。

ですが、
頭でわかっていても、どうも現実は違うのです。

わかっている(つもりの)通りに、ならない。
うまくいくはずなのに、なぜかいかない。

まぁ、今となっては、
なにがどうなればうまくいったことになると考えていたのかさえあやふやですが、
とにかく、
いくら知識を詰め込んでも、現実はうまくいかなかったのです。

自分で体験して、腑に落ちなければ、本当の理解にはいたらない。

ということを知ったのはヨガ哲学を学び始めてからです。
そこにたどり着くまでに、長い年月がかかりました。
そして、実行に失敗はつきものです。

そりゃそうです。
見るとやるとは大違い、
という言葉もありますが、

とにかく、頭の理解と体験は全く別物なのですから。

個人個人が求めるものも大きく変化しています。社会の成熟化が進み、経済的な価値、利便といったものが必ずしも幸せを意味するわけではなくなりました。自分は何をやりたいのか、何を優先することが幸せなのか、それぞれの「価値」が重要になってきました。これらの正解は一つではありません。

p239

ヨガ哲学を学ぶようになって、
体験することに失敗などない、
ということを知りました。

何が起きたとしても、
それは
「本当の自分とはなんなのか」
を知るための学びの機会であり、
そのための材料であると。
そこに、失敗という概念はありません。

とはいえ、私たちは失敗を嫌います。
できれば、
失敗せずに、痛い目を見ずに、何かを得たい。

でも、その何かとはなんなのでしょう。
それが、価値なのだと思います。

著書の定義では、
価値とは生きるうえで「喜びを与えてくれるものやこと」
です。

その価値が、今の時代は多様です。
価値を、自分で決められる時代になったのです。

ですが、その価値を自分で決められなかった時、
安直な正解、旧態依然の正解、
に飛びつき、
失敗を無駄なものとして排除してしまうような気がしました。

この本では、
「何でもかんでも挑戦して失敗すればいいんだ」
ということを勧めているわけではありません。

「そもそも失敗学は、『失敗をしなさい』と失敗を推奨するものではありません。」

と、著者も書かれています。

問題なのは、失敗を忌み嫌う硬直した思考です。
正解がどこかにあり、それに従ってさえいれば大丈夫、
という今までの考え方の危うさ、失敗をゆるさない弊害について、
いろいろな例をあげて教えてくれます。

正解はどこかにあるものではなく、自分で見つけ出していくもの

その時にハードルとなる、
失敗に対する抵抗を取り除いてくれる1冊でした。

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