《書評》『水車小屋のネネ』津村 記久子

読書

何で見たのか、2024年本屋大賞のノミネート作品はどれも面白そうでしたが、その中で惹かれたのが『水車小屋のネネ』に添えられていた一文でした。

誰かに親切にしなきゃ、
人生は長く退屈なものですよ

本文に出てくる言葉でしょうか。
ちょうどその頃「利他」という言葉に触れる機会が多かったこともあり、
この言葉がとても気になりました。
( 結末を暗示する内容が含まれています。これから読まれる方はご注意ください。)

水車小屋のネネ [ 津村 記久子 ]

「よかった」

高校を卒業したばかりの18歳と、本好き8歳のふたりの姉妹。
人生に仇なす親の元を離れ、ふたりだけの小さな、でも豊かな生活が、
水車小屋のネネのそばで始まります。

「なんだかよくわからないところに来てしまった。
 本当にここで仕事をするのか。ここに住むのか。できるだとかできないを考える以前に、まったく馴染みのないエネルギーの形態が建物の中にあって、それを想像もしたことがないおかしな鳥が見張っている。
 でも、やるしかないのだ。」

そんな姉の決意のもとに始まったふたりの生活は、最初は綱渡りで、
でも徐々に「なんだかよくわからないところ」に溶け込み、馴染んで、
いつしか、
かけがえのない日常へと変わっていきます。

そんな変化を可能にしてくれるのが、姉妹を取り巻く地元の人々。
姉が働く蕎麦屋の店主夫婦を筆頭に、妹が通う小学校の担任の先生、同級生の親、近所に住んでいる絵描きのおばあさん、婦人会の面々・・・
そして「ネネ」。

仕事仲間としてのネネ。
分かっているのかいないのか、絶妙のタイミングで相槌を打つネネ。
姉妹の危機を、お気に入りの掛け合いで救ってくれたネネ。
いつもそこにいて、寂しい時には寄り添ってくれるネネ。

危なげな姉妹の生活を、
無理強いしない思いやりで見守り、「よかった」と呟いてくれる人々と、
泰然自若として水車小屋にいるネネのそばで、
危なげな日々はいつしか、
あたたかで安心できるものへと遷り変わっていきました。

 彼女との非対称な関係を思い出すと、いつも暗い気分になるけれども、それでも今見ている景色は美しいと思えた。(中略)自分は生きていることはそう悪くないものだということに確信を持ち始めていると律は気が付いた。それは、明確な対象はなくとも、「愛している」と言ってもいいような心持ちだった。

p384

18歳と8歳で始まった姉妹の物語は、10年ごとに綴られて、40年に及びます。

姉妹がネネと巡り逢ったように、
40年の間には、図らずも水車小屋へとたどり着く人たちがいました。
水車小屋へたどり着く人たちは、
皆なにかしら人生に不都合を抱え、行き詰まりを感じています。

それでも、
何かの縁でここへ来て、
ネネと過ごす姉妹と触れるうち、
人への不信感を昇華し、
出会った人たちのよい部分に気づき、
その良心が今の自分に繋がっているのだと、感じるようになるのです。

大きな事件が起きるわけではありません。
もしかしたら、ふたりで始まった生活の劇的さが、一番大きな出来事であるかもしれません。
進学、就職、出会いと別れ …
日常は淡々と過ぎ、ことの発端となった親以上に大きな問題のある人や我を通す人も現れず、
多少の波乱はありながらも、全編が穏やかに進んでいきます。
きびきびとリズムを刻んでいたネネも年を取り、よく居眠りをするようになりました。

それなのに、
退屈になるどころか読み進めるほどにこの世界が好きになり、
読み終わるのが惜しいと感じる気持ちが募ります。

ネネと姉妹とまわりの人々。
そこで営まれる堅実であたたかな時間。

生きていることはそう悪いものではない ──

なにがあるわけではないけれど意義深い日々を、ずっと見守りたくなる作品でした。

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