《書評》『私の絵日記』藤原 マキ

読書

最初は新聞の小さな記事で、本書のことを知りました。
米国の漫画賞「アイズナー賞」において、
本書の英語版が最優秀アジア作品賞を受賞したという内容でした。
著者のお名前にはほとんど馴染みがなく、
夫であるつげ義春さんの作品も読んだことがあるのかないのか ……

ですが、
「同作は家族や友人との日常の中で感じたささやかな幸せを、愛らしい絵とのびやかな文章で描いている」
という紹介文がずっと心に残っていました。

それから1ヶ月以上もたったある日、
今度は新聞の文化面に本書を紹介する大きな記事が載っていました。
そこには、川の土手で息子を遊ばせる光景がやわらかに描かれた一枚の絵がありました。

穏やかに時間が流れるようなその絵に惹かれ、手に取りました。

私の絵日記 [ 藤原 マキ ]

平和な気持ち

本書は、著者が「オトウサン」と呼ぶ夫のつげ義春さんと、
一人息子・正助さんとともに過ごした懐かしい日々を、
味のある絵と文で綴った絵日記です。

絵日記は「一月四日 くもりのち雨 晩ごはんのあとオトウサンとけんかした。」から始まり、
「十二月二十四日 快晴 (中略)、と二人で笑い合った ──。」で終わります。

最初は紹介文にあった通り、
どこか懐かしい日々の中、
小さな喜びに笑顔する日記が続くのですが、
しだいに不穏な空気をはらむようになります。

「三月九日 雨
 又雨。一日中降り続いた。
 なんだかこゝ何日か気分がふさぐ……。」

この辺りから、暗い記述が増えてきます。
正助さんの高熱の流感は、つげさん、マキさんへと感染して一家全員を苦しめ、
それが治らぬうちにつげさんの発病。

「四月九日 夜風まじりの雨
 風が長びいてひつこい微熱がとれず、朝から体がだるい。
 オトウサンはあれ以来目まいがすると寝てばかり。」

そんな中で正助さんの入園式。
生活の変化とつげさんの病の悪化、
マキさんも風邪が慢性化し、
「心身ともにくたびれた」
と吐露します。

そんな暗い日々のはざまに、あの土手での一日があったのです。

 
 四月二十八日 晴
初夏のような暑さになった。
いつものように正助を幼稚園から連れて帰り昼食。オトウサンも今日は少し楽な様子なので外へ行こうと誘ってみた。
あんまりいゝ天気なので思い切って少し遠出した。「野川」の土手で自転車をとめ、正助を遊ばせた。正助はまるで生き返ったように花や虫と遊んだ。
太陽がキラキラ輝き、花は咲き、束の間辛さから逃れて平和な気持ちに包まれた。このまゝこゝにずっと居たいと希い、もう帰りたくないという気分になった。

p180

まさか、このような展開の絵日記だとは思っていませんでした。
新聞紙上で目にした土手での光景のような、
穏やかな日常が淡々と紡がれていくのだろうと思っていたら、
とんでもありません。
ページを繰るごとに不穏な翳りは色濃くなり、
緊張感が漂います。

だからでしょうか。
絵日記の中、
時になんでもない日常が滞りなく営まれているだけで、
ほんの少し肩の力が抜け、
その時間が終わらないでほしいと思っている自分がいました。

本書には絵日記のほかに、
著者の思い出のエッセイや親子3人の家族写真集、
つげ義春さんの記す「妻、藤原マキのこと」が収録されています。

家族写真に映る著者はいつも笑顔で、
笑顔の裏にたいへんな日常があることを感じさせません。

『私の絵日記』が単行本で刊行された後もつげさんの病は続いており、
著者の5年後の文章に
「オトーサンが明るくなってくれる夏は『幸せの季節』である」
と書かれています。

季節限定の幸せ ……
でも、写真が切り取った笑顔の瞬間は、確かにそこにあったのです。

たいへんな日常のなかで感じる小さな幸せ。
たいへんだからこそ際立つささやかな幸せ。

そんな幸せを一枚の絵の中に描き出した日々。
幸せの瞬間が描きとめられた絵日記でした。

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