《書評》『私の好きな孤独』長田 弘

読書

たまたま見ていたアニメの中で、登場人物が一冊の詩集を手にしていました。
その詩集になぜか惹かれ、実在するのか調べてみたら、本当にありました。

馴染みの図書館でも蔵書を持っていることがわかり、早速足を運んだものの、
愛する人を失う経験をテーマにした詩集。
その時の私にはその詩集を手にすることができなくて、
でも著者の作品が気になって、
その場から離れがたく書架の前をうろうろとしていました。

そんな時に目にとまったのがこの本です。

私の好きな孤独 [ 長田 弘 ]

人生というのは

思いがけず手に取ったこの本で、
人生の本当のところを感じさせてくれる数々の言葉に出会うことができるとは、
想像もしていませんでした。

著者が生きてきた人生。
その中で過ごした時間。
何度も読み返した書物。
聴きつぶしたレコード。
一人でなければできない遊び。
旅先のちいさなカフェ。
記憶の底に沈む幻想 ……

そうした数々の逸話が、なぜこれほどまでに心の深いところに響いてくるのか。

孤独 ──

そう。
著者の好きな孤独が関係しているのでしょう。
逸話の全てが、静かです。
静かだけれど、決して静寂ではありません。
静けさのなかに、生き生きとした豊かなものを感じます。
享楽的とは対照的な、
森閑とした中にあるかぎりない豊かさ。

その孤独が、
私を惹きつけてやまないのでした。

 人生というのはそれほどたいしたものなわけではない。しかし、それはすこしも不幸ではない。むしろ不幸というなら、たいした言葉や立派なうそがあまりにもおおくありすぎ、あまりにも容易にもちいられている。そのことが不幸なのだ。ありとあるシンボルを漁りあるいたあげくに、たった一つの実体すらもじぶんの足下に踏みそこなっている。

単行本p13

ある本を読んで、その本の中で触れられている書籍や物事に興味を抱くことは多々ありますが、
本書におけるその触れられかたの、どれもこれも何と魅力的なことか。

著者が引用する一節。
著者が愛する音楽。
著者が楽しむ玩具。
著者が親しむカフェ。
著者が感じる人生というもの ……

著者が触れる世界、そこから紡ぎ出される言葉。
それはなにやら特別なものを纏っており、
そしてその言葉を目にする私にも、
それほどたいしたものではない人生というものの中に、
なんとも奥深いものを感じさせてくれるのです。

著者の作品に初めて触れました。
あのアニメを見ていなかったら、
書架の前でうろうろしていなかったら、
本書と出会うこともなかったのだと思うと不思議な気分です。

著者がおぼえがきで書いています。

「孤独はいまは、むしろのぞましくないもののようにとらえられやすい。けれども、孤独がもっていたのは、本来はもっとずっと生き生きと積極的な意味だった。」

孤独はなぜ、のぞましくないもののようになってしまったのでしょう。
著者がこの作品に紡いだ孤独はどれもすてきで、のぞましくないものという思い込みをはねのけます。

「私の好きな孤独」という題名が快く響きます。
孤独はむしろ好ましく、孤独によってこそ生の本質を味わえのだ、
ということが伝わってきます。

孤独を恐れるのではなく、孤独によって生を愛で、味わう。

その気持ちを忘れないために、
手元に置いておりにふれ、読み返したい作品になりました。

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