『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』文庫本の解説者、日野剛広さんが彼女の文章に初めて出会ったのは、ネットで目にした「墓に唾をかけるな」という一文だそうです。
その一文は名文中の名文で、
「2013年刊行のコラム集『アナキズム・イン・ザ・UK』(Pヴァイン)にも収められているので、ブレイディさんがどういう思想と知性の持ち主なのかをもっと知りたい方は、ぜひ紐解いて頂きたい。」
とおすすめされていました。
『ぼくは〜』で著者の文章にすっかり魅せられた私。
日野さんのすすめに従って、『アナキズム・イン・ザ・UK』の前半が収録されている本書を手に取りました。
庶民は生きるだけ
『ぼくは〜』で描かれていたよりももっとリアルな底辺の日常が綴られた本書。
この文庫本に収められたエッセイの最新のものが2015年に書かれたということなので、今からもう10年近く前になります。
それでも全く色褪せないこの感じはなんなのか、と思ったら、日本でも同様の問題が持ち上がっているからだと気づきました。
少子高齢化、その労働力を補うための移民受け入れ、社会保障の縮小、教育環境の悪化、低賃金長時間労働、格差社会、人権問題…
著者のいう
「あの頑なに(なのか惰性でなのか)トラディショナルな秩序を維持し、なんだかんだ言って平和だったわが祖国に、いったい何が起こっているのであろうか。」
です。
何が起こっているのか。
まるで、英国の在りし日をなぞるかのような日本の現状。
この本を読んでいると、
おいおい日本もこうなっちゃうのか?
いや、すでになっているのか?
と、ちょっとした慄きを感じそうになるのですが、
しかし、著者はそんなことに慄いたりはしません。
「わたしが日々煩悶し憂国しているかというと、別にそんなことはない。毎日食って飲んで寝て、働いているだけだ。淡々といつものように生きる人間の背後にある風景や時代は変わる。が、庶民は生きるだけだ。」
この姿勢、この態度、この力強さに、一瞬感じた慄きが消えていきます。
(前略)つまり、人間のひとりひとりが正しいと思うことを統一するのは不可能なのだ。
p76
青空に白鳩放ってピースフル、人命は地球より重い。みたいのがいいと思う人びともあれば、何かのために戦って死ぬことこそが真理だと思う人たちだっているし、真理もクソもあるか、ロマンティックなことをぬかすな、このふぬけが。と敢えてワイルドサイドを歩きたい人たちだっているのだから。
そしてまた、さらに重要なことには、そのどれが正しいのかということも、本当のところは人間ふぜいにはわからんのである。
(中略)
だから、「益々混沌としてゆくだろう世界(byジョン・ライドン)」を生きてゆくうえで、持っていて少しでも役に立つものがあるとすれば、それは、
わたしはよく間違う。
という諦念まみれの認識。またはネガティヴな寛容性。または低みからの洞察。なんじゃないかなと、ここのところわたしはつくづくと思うようになった。
収録された数々のエッセイを読んでいると、著者の生きる混沌とした底辺社会がさらに低落していくのがわかります。
今の英国の状態は知りませんが、読み進めるほどに状況が悪化していきます。
切羽詰まった貧民たちと外国人労働者が競争して下層職を取り合う。
下層国民のさらにその下に生活保護受給者の移民。
貧民には手が届かなくなった仕事、ブライトン名物アナキスト。
そして、
「これ以上悪くなりようがないと思うものにも、けっこうそれ以上に悪くなるのり代は残されているものなのだ」
と思わせるような展開。
そんな展開にどっぷり浸かって生活しながら著者がその現状を嘆いているかといえば、無論そんなことはなく、なにやら愉しんでいるような感じが伝わってくるから不思議です。
何が正しくて何が間違っているのかが人間ふぜいにはわからないように、この社会がどこへ向かってどのような結末を迎えるのかも人間ふぜいにはわからない。
わからないから、ただ淡々と生活し、この社会を生き、その時々の地べたの今を書く。
悲観することなく、逆境をクソと罵りながらも逞しく生き抜いていく。
そんな心意気が伝わってきます。
ロックにも英国事情にも暗い私がブレンディさんの思想と知性を、つまりブレンディさん本人を知りたくて手に取った本書。
ロックに明るく、随所に登場するバンドの名曲(なのだと思う)が頭に流れながら読めたらもっと面白かったのかもしれませんが、それらが全く流れなくても、著者のリズミカルな文章に乗せられて、今回も一気に読み切ってしまいました。
この本には姉妹本『ジンセイハ、オンガクデアル』があります。
そちらは「『底辺託児所』シリーズ誕生」と銘打たれており、興味をひいてやみません。
近々読むことを決めつつ、それまでは本書を読み返して待ち設けることにします。