今日はムーンデイ、満月です。
ヒトも自然の一部。
月の満ち欠け、潮の満ち引き、
日が昇り日が沈み、季節が確実に巡りゆく …
その大いなる循環の中で生かされています。
そんな循環の中で、風子(ふうこ/17歳の柴犬)が旅立ち2か月が過ぎたというのに、未だ涙の枯れる気配はありません。
毎日の生活は続いているのに、私の心だけが風子との日々に留まろうとしているようです。
……──…──…──…──…── 🌕 ──…──…──…──…──……
どんなに大きな悲しみも、時間とともに薄れていく ──
それを頼りにこの2か月あまりを過ごしてきましたが、
悲しみは薄れることなどなく、ただ質が変化するだけなのだと、
風子を亡くして知りました。
風子が旅立った直後の悲しさは、
強い感情を伴うものでした。
吐き出さなければ心が砕けそうな悲しさ。
何度も声を出して泣くことだけが、
その悲しさをやり過ごす術でした。
でも。
今の哀しさは静かです。
哀しいというより寂しい。
胸の真ん中に寂しさの核が埋められて、
それがいつもしーんと冷たい ……
風子との日々を哀しいだけにしないために、
風子が与えてくれた素晴らしいものに、
風子と培った豊かなものに、
目を向けようとしています。
ムーンデイのたびに書き綴ってきたことに、
嘘はありません
でも、
どんなふうに書こうとも、
風子の不在をまだ嘆いている自分がいるのです。

涙が枯れないからと言って、
世界は歩みを止めません。
風子が旅立った頃にはまだ暑かった空気が
いつしかすっかり冷たくなってしまった ──
そんなことにさえ、
寂しさを感じています。
世界は着実に変化していくのに、
心だけがあの日々に留まろうとしている。
わかっています。
無駄な抵抗です。

8月から始めたヨーガ療法の学びも、少しずつ深まってきました。
先日の講座では、次のような宿題が出されました。
「皆様のこれまでの記憶の中から
自分の都合を言わずに奉仕できた
体験を調べてください。」
この宿題についてつらつらと考える中で、
風子が私に与えてくれたものに、
また新たに気づくことができました。
幼少期に拒食症を患った私は、ただ生きるだけで精一杯でした。
思うようにならない心身に振り回され、
誰かに目を向ける余裕など持てませんでした。
だから風子を家族として迎えるまでは、
他者に奉仕した経験も、
その必要性を考えたことも、
ほとんどなかったように思います。
ですが風子と暮らすようになって、
初めて自分の都合だけではどうにもならない存在と、
時間を共にすることになりました。
そしていつの間にか、
自分よりも風子の様子や体調を気にかけている私がいました。
特に、風子が旅立つ前のひと月あまりは、
昼夜を問わず、さまざまなお世話が必要になりました。
その時間がどれほどかけがえのないものだったのか、
今になって胸にしみています。
初めてのケアに戸惑い、緊張し、疲れもしました。
これをいつまで続けられるのだろうと思う瞬間もあったのに、
不思議と心は静かに満たされていたのです。
無心に風子を世話したあの日々が、
どれほど私を支えてくれていたのか ──
失ってみて、なおさら深く感じます。
風子は私に、
奉仕することの喜びを初めて教えてくれた存在でした。

月日が経つにつれて、
流れる涙も変わってきました。
今では風子の「ふう」と言おうとするだけで、
静かな涙がまぶたを濡らします。
こんなことは初めてで、
思えばこの体験も、
風子が今まさに
私に与えてくれているものなのです。
風子。
私はあとどれくらい、泣くのだろう。
私がまだ気づいていないものは、どれほどあるのだろう。
風子を忘れることはないし、
この寂しさが消える日は、来ないかもしれない。
でもそれで、いいのかな。
いいんだろうな ……
風子。
この感情は、
今この瞬間に、
私と風子が一緒につくっているもの。
風子を感じるためのもの。
風子。
寂しいよ。
だけどきっと、
私は大丈夫。


