今日はムーンデイ、満月です。
ヒトも自然の一部。
月の満ち欠け、潮の満ち引き、
日が昇り日が沈み、季節が確実に巡りゆく …
その大いなる循環の中で生かされています。
そんな循環の中で、わが愛犬、風子(ふうこ/17歳の柴犬)が虹の橋に旅立ち、ひと月以上が過ぎました。
……──…──…──…──…── 🌕 ──…──…──…──…──……
厳しい暑さがようやくゆるみ、肌をなでる風の中に秋の気配を感じるようになった、あの日の朝。
いつも寝ているマットから少しずり落ち、こちらに背を向けて横たわる風子の後ろ姿が、今もまぶたに焼きついています。
普段の朝は、風子がまだ眠っているのをそっと確かめ、自分の支度を整えてから、ゆっくりと風子のもとへ向かうのが日課でした。
けれどその朝は、なぜかいつもの流れに乗れず、ベッドを出たその足で、そのまま風子の方へと向かっていました。
はっきりとした理由があったわけではありません。
でもなぜか ……
風子に引き寄せられたのです。
いつものように「風子」と呼びかけながら、
でもなんだか、いつもと違う。
膝の上に抱き上げた風子の息が、
いつもと違う。
血の気がスッと下がるような恐怖。
そんな中で、
私は何もできませんでした。
「待って」
「待って」
「待って」
その懇願を無視して腕の中をすり抜けていくものを
必死に掴み止めようとしていました ──

最近読んだ本の中に、こんな一節がありました。
「 もの言わぬ友が旅立っていくとき、
たまらなく悲しいのは、
ともに過ごした長い年月まで
一緒に連れて行ってしまうことだ。
──ジョン・ゴールズワージー 」
その通りでした。
旅立った風子は、
ともに過ごした17年という歳月を、
一緒に連れて行ってしまいました。
この17年が、ごっそりと抜け落ちたような感じ。
まるでその日々が、蜃気楼だったかのようにかすんで遠のく。
自分の中が、空っぽになってしまった……
風子を喪いしばらくのあいだ、
これまでの17年が本当に、
私の人生から無くなってしまったかのように感じていました。
17年の歳月の中で、
風子が私に与えてくれたものを、
見失っていたのです。

犬の死に伴う手続きは、概ね30日以内に行うことになっています。
自治体への死亡届、日本犬保存会への血統書返却、日本獣医師会へのマイクロチップ削除依頼、そして、お世話になった動物病院へのご報告。
そうした手続きが必要であることを理解はしていましたが、
なかなか手がつけられませんでした。
風子のからだはもうここにはないのに。
火葬してお骨上げまでしたのに。
手続きをしてしまったら本当に風子がいなくなってしまうようで、
動けませんでした。
本当にもなにも、
風子の肉体はすでに、どこを探してもないのです。
手続きを渋ることにもう意味はなく、
何に対して抵抗しているのかもわからない、滑稽な行為。
それでも抵抗し続けて、
考えないようにして。
風子の旅立ちから29日目の朝。
ようやく、
抵抗をやめました。
心を波立たせないように、
できるだけ淡々と。
できるだけ事務的に。
だけどそうしているうちに、
あぁ、こんなことで風子がいなくなるわけじゃないんだ、
と思えてきました。
目に見えることだけに囚われて、
風子の肉体がない事実に打ちのめされて、
感じることを忘れていました。
風子と育んだかけがえのないものを。
風子がいたから今がある。
風子がいたから今のわたしがある。
風子がいたから──

風子が本当にいなくなるのは、私が風子を忘れたときです。
風子の姿がなくなっても、
私の心のなかでは生き続ける。
風子をこの目で見ることは叶わなくても、感じることはできる。
今まであった幸せは、消えません。
私が消さない限り。
風子。
幸せな思い出でいっぱいだよ。
風子は、私の中に今でもいるね。
だけどまだ、
涙が溢れるよ ──


