ヨーガをめぐるこぼれ話 ─ 風のように ─

ヨガ余聞

今日はムーンデイ、満月です。

ヒトも自然の一部。
月の満ち欠け、潮の満ち引き、
日が昇り日が沈み、季節が確実に巡りゆく …
その大いなる循環の中で生かされています。

そんな循環の中で、風になって旅立っていった愛犬について、書かずにはいられませんでした。

……──…──…──…──…── 🌕 ──…──…──…──…──……

8月にヨーガ療法(伝統的なヨーガの技法を科学的に研究し、現代人が安全に実践できるように工夫された心身の健康法)の学びが始まり、9月に2回目の講座がありました。
講座の後には毎回いくつかの宿題が出されるのですが、今回の宿題の一つに次のような課題がありました。

「皆様のこれまでの体験の中で
 自分勝手な思い込みで未来を推理していないか
 調べてください。」

ちょうどその頃は、我が家の愛犬、風子(ふうこ/17歳の柴犬)の足腰が急激に弱り、軽い介護状態に突入した時期でした。
だから、こんなふうに書いたのです。

今まさに、自分勝手な思い込みで未来を推理していたと気づく体験をしています。

それは、我が愛犬のことです。
私は風子という17歳の柴犬と暮らしていますが、風子がつい最近まで17歳とは思えない元気さで過ごしていたので、そのままその日々が続き、虹の橋へ向かうその日まで、元気な状態で過ごしていけると推理していました。

しかし、8月のお盆のころ、風子の足腰が急激に弱り、普通に歩くことも、餌を満足に摂ることもできなくなりました。

「風子が最後の日まで元気に過ごす」という推理は、私の希望的観測にすぎなかったのだと分かりました。
今は、弱っていく風子をそのまま受け入れ、風子との時間を大切に過ごしていきたいと思っています。 

なんてお気楽な文章。
これを書いた時、私はまだまだ勝手な思い込みの中で、未来を推理して生きていたのです。

さぁ、これから本格的な介護が始まるぞ。
寝たきりになった風子を、もっともっと大事にお世話してやるんだ。

──ところが風子は、それから一週間もせずに、旅立ってしまいました。

私は、幼少期に拒食症を患い、それ以降は感情を殺すようにして生きていました。
感情があると辛すぎるから。

でも、風子と出会い、風子と過ごす中で、

愛おしい、
かわいい、
楽しい、
嬉しい、
幸せ、
わくわく、
ドキドキ、
驚き、
喜び、
興奮、
心配 ……

さまざまな感情を取り戻していきました。
風子が、カチカチだった私の心を、柔らかくしてくれたのです。

でも、柔らかくなった心に、風子の不在は辛すぎる。

── これは自然の流れ。
分かってはいるけれど、心がついていきません。

風子 ……

私は以前から、「風のように」というフレーズが好きで、サイト名の「fuuing」も「風ing」からきています。
風子は5月生まれで、風の匂いをくんくんするのが好きだったから風子と名付けましたが、
風の要素を無意識に入れたかったのかもしれません。

風のように、
囚われず、こだわらず、軽やかに。

ですがここ最近、軽やかさと距離のある自分を感じていました。
そんな時に、風子は私の腕のなかから、すーっと旅立っていった。
「軽やかに、でしょ?」
とでもいうように ──。

風子の生き様。
風子の最期。

風子が残してくれたこと。

無駄にはしないよ。

ありがとう。
ありがとう。
ありがとう。

愛おしい風子。

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