今日はムーンデイ、新月です。
ヒトも自然の一部。
月の満ち欠け、潮の満ち引き、
日が昇り日が沈み、季節が確実に巡りゆく …
その大いなる循環の中で生かされています。
そんなムーンデイに、「サムスカーラ」について思いを巡らせてみました。
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前回のムーンデイにも書いたとおり、私はここ数年、とあるヨガ哲学講座に参加しているのですが、
先月に続き今月(2025年5月)も、アニメ『チ。─地球の運動について─』の話題で盛り上がっています。
『チ。─地球の運動について─』という作品は、 アニメはもちろん、アニメのオープニング主題歌「怪獣」も多くの哲学的思考を刺激してくれる内容です。
その「怪獣」で、山口一郎さん(サカナクッションVo,G)出演のミュージックビデオ(以下、MV)を見ながら、仲間たちとさまざまな考察を行いました。
そんな中で面白かった解釈が、山口さんが抱える卵と思しき物体を、魂の象徴とみる考え方です。
もっと正確に言えば、サムスカーラ(サンスカーラ)という殻に閉じ込められた魂。
MVでは、卵と思しき物体を大事に抱えながら地下道(?)をさまよう山口さんと、そこへさまざまな人物が現れて卵を奪おうとする様子が描かれています。
札束、誘惑、洗脳、暴力 etc.
さらに、両側から迫りくる通路の壁。
挟まれた山口さんは身動きが取れない中、壁の隙間から何とか腕だけを外に出し、卵を救おうとします。
その手から滑り落ちた卵は ──

前回はこの卵から、「カルマ」への思考が湧いてきたのですが、今回は「サムスカーラ」です。
カルマは「行為」とその「結果」を意味しますが、
サムスカーラはカルマ、つまり過去の行為と結果によって生まれた心的印象を表します。
もしもあなたが可愛らしくひ弱な子犬を見ても怖いと思うのなら、過去のどこかで子犬に関して怖い経験をしたことがあり、その印象が潜在意識に残っているのかもしれません。
それが、サムスカーラです。
そこで、山口さんが抱えていた卵です。
抱えているのは大切なもの。
今回の場合は、サムスカーラという殻に閉じ込められた魂。
サムスカーラは潜在意識に蓄積されている過去の出来事の心的印象なので、
そこには二元的価値観によってつくられた印象も多分に含まれています。
良い悪い、好き嫌い、正しい正しくない、有る無し、成功と失敗、幸と不幸、愛と憎しみ、希望と絶望……
そう考えると、殻の層がどれほど厚くなっていることか、想像に難くありません。
私たちの魂は、そんな厚い層の中に在るのです。
だから、山口さんの抱える卵が割れることはありません。
MVの終盤、堅そうな卵は山口さんの手から滑り落ち、見知らぬ若者の手に受け止められて ──

サムスカーラの殻に閉じ込められた魂。
それが、今の私たちの魂の状態です。
世間の評価や二元的な価値観に囚われて、自由を失っています。
(そしてヨガでは、サムスカーラから逃れる(手放す)ことで自由になれると考えます。
サムスカーラに支配されている限り、本当の自由は得られないのです)。
山口さんの抱える卵の殻は、 壊れることなく若者の手に受け止められました。
ですが本当は、壊す必要があったのかもしれません。
壊れる、ではなく壊す。
受動的にではなく能動的に。
鳥が誕生する時、ヒナは自分のくちばしで内側から殻をつつき、自分の力で時間をかけて生まれてきます。
その時にもし、外側から殻を破ったなら、ヒナは誕生せずに死んでしまいます(タイミングによりますが)。
人間も同じなのかもしれません。
過去の印象にがんじがらめになっている時、
いくら外から教えられても、
大切なものに気づけないことがあります。
壁にぶつかりながら、自らの力(知恵)で時間をかけて気づき、
二元的価値観やそれらによって蓄積されたサムスカーラを手放していくことで、
ようやく自由に近づくのかもしれません。
……
『チ。─地球の運動について─』と「怪獣」。
半年前には横目で眺めていただけなのに、
今ではさまざまな哲学的思考を刺激してくれる作品になっています。
その刺激が、サムスカーラを手放す手助けにもなってくれます。
一度だけ観て終わるにはもったいない作品たち。
この作品世界、まだまだ刺激が隠されていそうです。
