ヨガをめぐるこぼれ話 ─ 瞑想とマインドフルネス、どちらが大事? ─

ヨガ余聞

今日はムーンデイ、満月です。

ヒトも自然の一部。
月の満ち欠け、潮の満ち引き、
日が昇り日が沈み、季節が確実に巡りゆく …
その大いなる循環の中で生かされています。

そんなムーンデイに、再び瞑想とマインドフルネスについて思いを巡らせてみました。

……──…──…──…──…── 🌕 ──…──…──…──…──……

前回のムーンデイでは、瞑想に対して抱えていた小さなモヤモヤ(瞑想とマインドフルネスってどう違うの?)に対して、ようやく腑に落ちる考え方にたどり着いたお話を綴りました。

結論だけを言ってしまうと次のようになります。

・瞑想の目的は、自己の本質の理解(魂というソフトウェアの整備)
・マインドフルネスの目的は、心身の調和とストレスの軽減(肉体というハードウェアの整備)
(ソフトウェア?ハードウェア?それどういうこと?と思われた方は、こちらの記事をご覧ください)

そうして一旦はスッキリしたのですが ──
スッキリの興奮が落ち着くと、再び新たな疑問が湧いてきました。
私がしているのは瞑想?マインドフルネス?
私がしたいのは瞑想?マインドフルネス?
ヨガする人に必要なのは瞑想?マインドフルネス?

ヨガをしている身としては、瞑想をしています、と言いたいところですが、どうもそう単純なことでもなさそうです。
それに、瞑想が良くてマインドフルネスはあんまり、というのもあまりに短絡的な発想なのだと思います。

私たちが住むこの地球は、見て触れることのできる物質で成り立っています。
そして、私たちは肉体や脳によって存在しています。
肉体や脳、つまり、毎日生きて活動しているこのカラダも、物質です。
そんな物質、カラダというハードウェアを整備するのが、マインドフルネスです。
例えば、コンピューターのハードウェアがちゃんと整備されていないと、その上で働くソフトウェアもきちんと機能してくれません。
それと同じように、私たちもカラダが整っていないと、魂の整備に着手するのは難しくなります。

そう考えると、マインドフルネスはあんまり、などとは言っていられません。
それどころか、マインドフスネスができない状態で瞑想しようとするのは、なかなかにハードルが高いものなのだと気づきました。

ところで、最近の脳科学は非常に進歩しており、マインドフルネスによる脳の変化などもわかるようになってきています。

それによると、マインドフルネスを実践していくと、脳の松果体や扁桃体、つまりハードウェアに変化が生じるそうなのです。
特に扁桃体は、感情と大きく関係している部分です。
感情が激しく動くと扁桃体も活発に動き、扁桃体が活発になるとその情報が大脳に強烈に焼き付けられます。
焼き付けられた記憶は消えることがなく、それが好ましくない記憶の場合、恐怖やトラウマを生み出すのです。

マインドフルネスを実践していくと、そんな扁桃体の質が変わります。
感情によって暴走していた扁桃体が、暴走しない扁桃体になる。
暴走しないようになれば、感情に振り回されることもなくなるし、恐怖やトラウマといった忘れられない記憶を作ることもなくなります。

扁桃体に支配されやすい脳から、支配されない脳への変化です。

扁桃体と感情は大きく関わっている、ということは、
扁桃体に支配される=エゴに支配される
と考えることもできます。

世の中を二元的な価値観で見て、常に良い悪いで判断しているエゴ。
そんなエゴの支配から脱却できて初めて、物事を客観的に冷静に見られるようになる、つまり瞑想へと足を踏み入れることができるのかもしれません。

瞑想とマインドフルネスの切ってもきれない関係。
瞑想とマインドフルネスは違うものだけれど、どちらも大事でどちらも有益。

この二つの違いを見極めつつ、脳の変化を楽しみながら、実践を続けていきます。

タイトルとURLをコピーしました