ヨガをめぐるこぼれ話 ─ 瞑想?マインドフルネス?マインドフルネス瞑想? ─

ヨガ余聞

今日はムーンデイ、新月です。

ヒトも自然の一部。
月の満ち欠け、潮の満ち引き、
日が昇り日が沈み、季節が確実に巡りゆく …
その大いなる循環の中で生かされています。

そんなムーンデイに、瞑想とマインドフルネスについて思いを巡らせてみました。

……──…──…──…──…── 🌒 ──…──…──…──…──……

ヨガと瞑想は切っても切れないもの。
というより、ヨガそのものが本来は瞑想で、呼吸法やポーズはすべて瞑想のために行なっているのだから、ヨガをするということは瞑想をするということ。
になるのですが ……

そうは言いながら、私も、瞑想をするつもりでヨガを始めたわけではありません。
ヨガと瞑想の関係など知る由もありませんでしたし、ヨガをする人は瞑想もしなければいけない、ということもありません。

ありませんが、ヨガをある程度続けていると、瞑想が気になってきます(多分)
なんといっても、ヨガ関係の本をひらけば瞑想がもれなくついてくるし、スタジオへ行けば瞑想のワークショップなどが開かれています。瞑想のリトリートは気持ちよさそうだし、お寺でヨガと瞑想体験なんてツアーも目にします。

というわけで、私もヨガを続ける中でだんだんと瞑想に興味をもつようになり、自分なりに実践を続けてきました。

ところが近年、瞑想とおなじようにしばしば耳にするのが「マインドフルネス」という言葉。
「マインドフルネス瞑想」なる言葉もあり、ちょっと混乱していたのです。

そもそも瞑想って?
じゃあ、マインドフルネスって?
合体したマインドフルネス瞑想って?

瞑想とマインドフルネスの違いを調べても、分かったような分からないような。
やり方も何となく似ているし、得られる効果も同じよう。
マインドフルネス瞑想という言葉があるくらいだから同じもの?
じゃあ、私がしているのは瞑想?マインドフルネス?
もしかしてマインドフルネス瞑想?
・・・・・
どうもしっくりくる考え方にたどり着けず、小さなモヤモヤを抱えていました。

そんなある日、やっと腑に落ちる考え方を知ることができたのです。

ここで、極めて端的に瞑想とマインドフルネスの比較をしてみます
(私の現時点での理解であり、含まれる要素の一部を抜き出したやや強引な比較です)

瞑想マインドフルネス
起源古代インドの哲学体系1979年、ジョン・カバット・ジンが
マインドフルネスストレス低減法(MBSR)を創始
目的自己の本質の理解心身の調和とストレスの軽減
アプローチ超越的な意識状態を追求し、
精神的成長を目指す
実用的・科学的な観点を重視する
効果内的静寂、精神的自由ストレス軽減、集中力向上、
情緒の安定

瞑想もマインドフルネスも、実践することによって日常を過ごしやすくなることは同じですが、私がなるほど!と思ったのが、目的とアプローチの決定的な違いです。

瞑想の目的は、自己の本質の理解。
「自己の本質」つまり「本当の自分とは何か」を理解すること(「本当の自分とは」を書き出すと終わらなくなるので、それはまた別の機会に)
対するマインドフルネスの目的は、心身の調和とストレスの軽減。
これは、
・瞑想は物理的実体のない精神に関係するもの
・マインドフルネスは実体のある肉体に関係するもの
ということもできます。

このことを、ヨガ哲学の先生は非常にわかりやすい例えで表現してくださいました。
すなわち、
・瞑想はソフトウエアの整備
・マインドフルネスはハードウエアの整備

この例えを聞いて、目から鱗がおちました。

マインドフルネスは、ジョン・カバット・ジンによる MBSR 開発を契機に、科学的な瞑想プログラムとして普及しました。
ジョン・カバット・ジン自身が瞑想やヨガを実践してその効果を実感し、そこからMBSRを開発したことを考えると、瞑想とマインドフルネスが似ているのも当然かもしれません。

けれども、整備するものが違う。
瞑想は、輪廻する魂というソフトウエアの整備
マインドフルネスは、今生きている肉体というハードウエアの整備

この考え方は、瞑想とマインドフルネスに対して私が抱えていた小さなモヤモヤを、スッキリと解消してくれました。
瞑想もマインドフルネスも、目にみえる効果に似ているところはあるけれど、両者には明確な違いがあった。
今更ながらですが、この違いに気づくことができてよかったです。

気づいたところで ──
では、私がしているのは瞑想?マインドフルネス?
私がしたいのは瞑想?マインドフルネス?
ヨガする人に必要なのは瞑想?マインドフルネス?

再びこんなことに思いを巡らせながら、今日も実践を続けます。

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