今日はムーンデイ、新月です。
ヒトも自然の一部。
月の満ち欠け、潮の満ち引き、
日が昇り日が沈み、季節が確実に巡りゆく …
その大いなる循環の中で生かされています。
そんなムーンデイに、「調和とエゴ」について思いを巡らせてみました。
私たちはつい、目の前でおこっている現象に囚われて一喜一憂してしまいますが、
ヨガの哲学では起きた現象に囚われず、
「この現象は何を教えてくれているのか」
と考えることが大切だといわれます。
現象に囚われるのではなく、現象からどのような理解を得るのか。
── そのように日常を過ごす姿勢が大切なのだ、と。
そんな日々の中、
共にヨガの哲学を学んでいる方が、最近気づいたことをお話してくださいました。
その方は、会社での活躍や昇進で自分の存在価値を証明しようとしてきたそうなのですが、次の昇進試験を前に大きく体調を崩し、試験どころか通常の業務もまともにこなせない状況に陥られたそうです。
自分が一番仕事をわかっているのに、何もできない。
今まで自分よりできないと思っていた人たちに、フォローされる。
そんなままならない状況でただ横になって過ごすうちに、
ふと、
外の環境に依存しない「変わらない自分」というものの存在に気づいたのだそうです。
同時に、社会的地位よりも大切なカラダを改めて意識した、とも言われていました。
(現象から何を気づくかは、人によってさまざまです。
それはいつも「ふと」おとずれて、「あぁそうなのか」と腑に落ちます。
だから、ある人の気づきが自分にはしっくりこなくても、当たり前かもしれません。
自分には自分だけの違う気づきが、おとずれるのです)

そのお話を一緒に聞いていたヨガ哲学の先生が、面白い例え話をしてくださいました。
お話をしてくださった方は、会社という大きな組織の中で、
「自分が一番昇進してやろう」という意識、
「自分が自分が」というエゴの意識、
が最大に出ていた時に体調不良に見舞われたわけですが、
これをカラダに置き換えるとどうなるか。
カラダは心臓や肺、肝臓、腎臓などの大きな器官や組織でできており、
それらはさらに小さな細胞でできています。
それらがお互いにやるべきことを淡々とやって、このカラダを維持しています。
ところが、そこで一つの細胞が主張し始めると、途端にバランスを崩し、健康が損なわれてしまいます。
その最たるものが、がん細胞です。
がん細胞は、異常なほど「自分は自分は」と主張し、拡大し、どんどんカラダを侵食していきます。
そして結局は、カラダそのものを滅ぼしてしまうことになるのです。
同じように社会でも、「自分は自分は」を出しすぎるのは、がん細胞に似ている、というのです。
「自分が自分が」と主張しすぎると、がん細胞のように全体の調和を乱し、バランスを崩してしまう ── 。
なるほど。
おもしろいなぁと思いました。
人間が一人ひとり存在しているのも、存在するための何らかの意味があるからです。
そこで大切なのは、やるべきことを淡々とやること。
私たちは、現象に囚われ、エゴに囚われ、
つい「自分は自分は」を出しすぎてしまうことがありますが、
「自分は自分は」はがん細胞 ……
そのように捉えると、エゴの強さも考えものだとわかります。
一人ひとりの人間が、それぞれの場所で、それぞれの立場で、やるべきことを淡々とやる。
それこそが宇宙全体を調和することに繋がるし、
自分自身を調和することにも繋がる ──
宇宙全体は広大すぎて、ちょっとピンとこないところもありますが、
まずは自分自身の調和のために、
「やるべきことをただ淡々とやる」
改めて心に刻むことになりました。
