欠けていたお月様が少しずつ満ち、数日後にはまんまるになる満月です。
ヒトも自然の一部。
月の満ち欠け、潮の満ち引き、
日が昇り日が沈み、季節が確実に巡りゆく …
その大いなる循環の中で生かされています。
そんな日々の中で、リトルボイスのささやきについて思いを巡らせてみました。
最近、「リトルボイス」という言葉を知りました。
何かを始めようとする時、心の奥底からささやいてくる小さな声。
それは、潜在意識に溜め込まれた過去の記憶からささやく言葉を選び、
大抵、ネガティブなことを言ってきます。
「今のままでいいじゃん!」
「変わらなくてもいいよ」
「そんな大変なこと、わざわざしなくていいんじゃない?」
……
リトルボイスは過去の行動を思い出させ、行動を止めようとしてきます。
今の私はまさに、このリトルボイスに悩まされているところ。
新しいことを始めようと、講座を受けたり情報収集したりしているのに、
そのそばからリトルボイスがささやいてきます。
「本当にやるの〜?」
「しんどいよぉ〜」
「やめておいた方がいいんじゃな〜い」
あぁもう、本当にうるさい!
まだ何一つ始まってもいないのに、
足をひっぱるネガティブな感情だけは元気です。
でもこの感情は、人間が持って生まれた「本能」なのだそうです。
生物としての人間の本能が、命を落とさせないために発揮する、自己防衛反応。
現状で生きていけているのだから、とりあえず現状維持していればそのまま生きていける(はず)。
だから本能は、新しいことになどチャレンジしたりせず、そのまま今の状態を維持してほしいのです。
ところが、何を思ったかそれに反する行動を起こそうとしているから、
本能の声「リトルボイス」がささやいて、必死に止めているのです。
リトルボイスは本能だから、誰もが持っているもの。
けれども、そのリトルボイスに従ってしまったら、それこそ現状維持です。
行動を起こすことができなくなります。
行動を起こすか、起こさないか。
リトルボイスに従うか、従わないか。
リトルボイスというものは、自分の本気度をはかる試金石でもあるのです。
先日、『パリタクシー』という映画を観ました。
失うばかりの人生で、でも一番大切なものは失わなかった老婦人と、
その老婦人を乗せてパリの街を横断するタクシー運転手のお話です。
老婦人の人生は、表面的には失うばかりだったかのように見えますが、
しかしそうではありませんでした。
そんな老婦人と一緒に過ごすうち、
無愛想だったタクシー運転手も、大切なことに気づいていきます。
リトルボイスは誰もが持っている。
何かを始めようとした時、怖い!できない!という感情は誰にでも湧いてくる。
それは分かったけれど、
でもどうしてそんなに怖いのだろう、
と考たときに、
この映画が思い浮かびました。
私たちは、失うことを恐れます。
何かを始めても、失敗したらどうしよう、と思います。
成功しなければ、イコール失敗だと考えてしまいがちです。
けれども、本当はそうではありません。
そうではないのだと分かっていたら、
もっと軽やかに行動を起こすことができるのではないでしょうか。
そうは言っても、相変わらずリトルボイスはうるさいです。
これはもう、ささやき声ではないかも。
リトルボイスが聞こえるたびに、
私はまた失敗を恐れているんだなぁ、と思います。
私はまた結果を求めているんだなぁ、と気づきます。
そういう、成功や失敗といった二元的な価値観に囚われていることに気づかせるために、
今の状況があるのでしょう。
リトルボイスはうるさい。
でも、私は私がやりたいことをする。
行動を起こした先に、また新たな世界があらわれるのだから。
すべての過程を楽しみながら、軽やかに行動していきます。