明日はムーンデイ、満月です。
アシュタンガヨガでは、ムーンデイには練習を行いません。
そんなムーンデイを前に、アーサナの完成形、ということについて思いを巡らせてみました。
アーサナとは、ヨーガの座法・体位のことです。
座法と聞くと違和感があるかもしれませんが、
アーサナ(आस् [ās]+अन [ana])の「アース」は「座る」を意味する動詞です。
それも、ただ座るのではなく、
「今ここに在る」
「存在する」
といった意味が込められています。
それは、まさに瞑想です。
そのように考えると、ヨーガのアーサナはスポーツやエクササイズとは一線を画すものなのですが、
メディアが作り出す華やかなイメージに引きずられると、どうしてもアーサナの形に目が奪われがちになってしまいます。
私はたまたま近所の公民館で開かれていたヨガ教室の体験に申し込み、
そこで初めて「ヨーガ」を体験しました。
それまでは、幼少期の病気が原因で、常に自分のカラダに違和感を感じていました。
ところが体験が終わった時、その違和感が緩和されていることに気付いたのです。
あの時の私は、ヨーガの何たるかを全く知らず、
ただ先生がしていることを真似して体位をつくり、
その体位でしばらくじっと保つ、
ということを繰り返しました。
体位をつくり保つ
体位をつくり保つ
…
その繰り返しは、ヨーガを知らないからこそ私を集中へと導き、
図らずも瞑想状態へと誘ってくれたのでした。
そんな初めての体験を経て教室へ通うようになり、違うスタジオへも通い、
少し余裕が出てくると、
周りが気になり始めます。
周りの人はどんな風にポーズをとっているのだろう、
あの人のポーズは美しいな、
自分のポーズはどんな形をしているのだろう …
ヨーガをするのには邪念でしかないのですが、
一方で、
ヨーガをしていれば誰しも一度は通る道、
かもしれません。
ポーズの見本は溢れるほどあります。
教室の先生、ヨガ雑誌のモデル、YouTubeの動画にヨガスタジオの広告 etc.
そこには、可憐な姿勢でポーズを決める若々しい男女が溢れています。
私もあんな風に…
と思った時にまずしてしまうのが、外側の形を真似ることではないでしょうか。
でも、
アーサナとは、その完成形とは、なんなのでしょう。
先生と同じ形?
雑誌のモデルみたいに見える?
外から見て美しい?
もちろん違います。
そういう外側のことではないのです。
ではなに?
その疑問に一つのヒントを与えてくれる言葉を、私が学んでいるヨガ哲学の先生が教えてくださいました。
アシュタンガヨガの創設者であるパタビジョイス師の言葉です。
心が限りなく静かなとき、あなたのアーサナは正しい
最後につくられた体位を保っている間、 心は静かでしょうか。
今に集中しているでしょうか。
過去や未来を考えてはいないでしょうか。
今ここに意識がある状態で存在しているでしょうか。
たとえ形だけが似ていても、そこに静けさがなければ、アーサナは完成していません。
自分のカラダを感じ、心静かに、今ここに在る状態。
そうなっていたときが、アーサナの完成形だと言えるのかもしれません。
アーサナを単なるストレッチにしないために。
自分と向き合う祈りに変えるために。
自分の心が静かかどうかを確認しながら、
これからも練習を続けていきます。