今日はムーンデイ:「むなしさ」との付き合い方

ヨガ

今日はムーンデイ、満月です。
アシュタンガヨガでは、ムーンデイには練習を行いません。
いつもは練習している時間に、「むなしさ」について思いを巡らせてみました。

むなしい、という感情との付き合い方は、私の中で大きな問題でした。
あぁいえ、問題でした、と言い切れるほど手放しきれてはいないので、問題です、というべきでしょうか。
とにかく、不意に訪れるむなしさに、ずいぶん昔から悩まされました。
足元にぽっかりと口をひらく暗い穴。
その穴に吸い込まれそうな空虚な感覚は、何度経験しても嫌なものです。

嫌なものです、と言ったところで、不意に訪れるのですからどうしようもありません。
生活が充実しているとか、楽しいことがあるとか、そんなことは関係ありません。
どんな状況だろうと不意は不意。
むなしさは突然訪れて、こんなことに一体なんの意味があるのか、という虚無感に支配されます。

もちろん、ただ支配されるのも癪にさわりますから、いろいろなものに救いを求めました。

幸い私は読書が好きなので、書物の中で救いの片鱗に触れたこともあります。
でも、片鱗です。
強力な虚無は、その片鱗をかき消してしまいます。

そんな日々を過ごすなかでヨガに出会い、ヨガ哲学に出会い、
そして、衝撃的な言葉を聞いたのです。

「むなしさを感じるのは、人生に意味があると思っているからだ」

は?
人生に意味があると思っているからだ?

それは当然なのでは…
私たちは意味を求めて日々を生き、しんどいことや面倒なこともその意味のためにしているのでは…

ところが、それが当然ではないようなのです。

「人生に意味はない」

それを腹の底に落とし込めばむなしさを感じることはない、
と私が学んでいるヨガ哲学の先生は言いました。

う〜ん。
ちょっと何言ってるのか分かりません …
でした。
最初は。

でも、
ヨガ哲学というのはなんという考え方をするのか、と思いました。
そして、
なんておもしろいのだ、とも。

私がずっと悩まされてきたむなしさという感情。
それに対して「人生に意味はない」という答えを返してきたヨガ哲学。
ヨガ哲学のおもしろさに目覚めたのは、この時かもしれません。

ヨガ哲学で大切な考え方に、二元的な価値観にとらわれない、というものがあります。
二元的な価値観とは、良い悪いとか好き嫌い、損か得かや上手下手、など、
物事を二分してジャッジする考え方です。
二元的な価値観にとらわれた瞬間、ヨガ哲学の学びからは外れ、理解を得ることができなくなります
(理解を得るとはなんなのか、を書き出すと終わらなくなるので、それはまた別の機会に)
その視点から考えると、
人生に意味があるとかないとかも、意味があるならOK、ないならNG、
つまり、ジャッジしている=二元的な価値観にとらわれていることになります。

あるいは、こういう言い方もできます。
むなしさ(虚無感)というのは、何もないことに悲しみを感じる感情です。
つまり、何かを得られないから(そこに人生の意味も含まれているかもしれません)、むなしさを感じているのです。
そのとき、意識は外に向かって何かを得よう得ようとしています。
でも、人生は外に求めるものではありません。
これも、外に何かを求めた瞬間に、学びからは外れていくのです。

我々は何かを得ようと外の世界に手を伸ばしますが、
そして、私も散々伸ばしてきたのですが、
むなしさはなくなりませんでした。

外へ求めても解決は得られないのだろう、と薄々気づいていた頃に、
ヨガ哲学に出会いました。
そして、「人生に意味はない」という言葉を聞いたのです。

これだけ聞くと誤解を生みそうですが、
私はこの言葉を聞いた時、何かから解放されたように心が軽くなったことを覚えています。
そうか、人生に意味はないのか。
意味を探さなくていいのか。

人生に意味がある、ということを前提に生きてきた私には、考え方をガラリと変えられる衝撃の一言でした。


冒頭にも書いた通り、むなしさは今でも訪れます。
まだまだ、ジャッジしたり求める意識があるのです。
でも、今では気づくことができます。
ただ無為に虚無の暗穴に落ち込むのではなく、あぁまた私はジャッジしているのだな、と。

人生に意味がないのなら、人生とは一体なんなのでしょうか。
今は、体験することが人生なのだと思っています。
意味など求めなくてもいいから、ただ体験する。
つまり、ただ生きるだけです。
そして、願わくばそこから理解を得る。

ただ生きるだけなんてダメだ(これがジャッジ)と思っていましたが、
それでいいのだ、と思える瞬間が、少しずつ訪れるようになりました。
雲の間から一瞬差し込む光のように、それはまだごくわずかなひとときですが、
心底思えるようになった時、私の中からむなしさが消えているかもしれません。

それはいつのことなのか。
それを楽しみに、ジャッジしない時間を増やしていきたいと思います。

先日、きたやまおさむ著『「むなしさ」の味わい方』を読みました。
精神分析学を活かした深層心理学で、「むなしさ」について考察している1冊です。
興味を持たれた方は、こちらの記事もどうぞ。▼

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