昨日はムーンデイ、新月でした。
アシュタンガヨガでは、ムーンデイには練習を行いません。
そんなムーンデイの後に、自分の内側に意識を向ける、ということについて思いを巡らせてみました。
いつ入手したのか、私の手元に今から50年以上も前に刊行された、佐保田鶴治著『ヨーガのすすめ』という新書があります(現在は単行本で再刊されています)。
この本の一章の扉を開くと、
自分にかえれ
という見出しが目に飛び込んできます。
「自分にかえれ」
これこそが、ヨーガの目指すところです。
── などといきなり言われても、訳がわかりませんよね。
私はたまたま近所の公民館で開かれていたヨガ教室の体験に申し込み、
そこで初めて「ヨーガ」を体験しました。
それ以前にも、スポーツクラブで何度かクラスに参加したことがありましたが、
特になにを感じることもなく、
「最近話題のヨガってこんなもの?」
と思っていました。
ところが、
その公民館でのヨーガでなんともいえない感覚を味わったのです。
それは、なかなか言葉で言い表すことはできません。
無理に言葉にするならば、自分とつながったような感じ、です(あぁ、言葉にするとなんとも軽い)。
それまでは、幼少期の病気が原因で、常に自分のカラダに違和感を感じていました。
自分の手足を自分の意思で自由に動かせていないような変な感覚。
それが、公民館でのヨーガが終わった時、あぁつながっている、と感じたのです。
あの時の私は、ヨーガの何たるかを全く知らず、
ただ先生がしていることを真似て動いていただけなのですが、
知らないからこそ自分のカラダに集中し、集中し、集中し、
自分の内側に深く深く意識を向けていたのだと思います。
そうして、意図せずに自分とつながることができたのでした。
自分の内側に意識を向けるのは、自分にかえるための最初の一歩です。
ところが、現代は意識を外に向けさせるもので溢れています。
朝、目が覚めた瞬間からスマホのニュースが流れ出し、SNSの通知はひっきりなし。
トレンドは頻繁に入れ替わり、世界の裏側の事件や事故が話題にのる。
スポーツ、芸能、音楽、美術 … 人々の興味をそそるテーマには際限がなく、
いつでもその情報にアクセスできます。
そんな日常の中で、外部のことばかりに没頭して暮らしていると、
自分とのつながりがどんどん希薄になっていきます。
いつも忙しい、
いつも緊張している、
いつもストレスだらけ、
いつも疲れている、
いつも不安、
いつもなんだか虚しい…
そんな感覚から抜け出すための一歩が、
自分の内側に意識を向ける、
なのです。
そうは言っても、どうすればいいの?ですよね。
そこで、アーサナの練習をします。
外へ外へと向かおうとする意識を、練習中は自分のカラダへ向けます。
もちろん、ずーっと向け続けることは難しいものです。
だから、一瞬一瞬のカラダの感覚、心地よいな、快適だな、伸びているな、もちろん、これ以上いったら痛いな、でも構いません。
とにかく、外へ意識が向かいそうになったとしても(と言うより、向かいそうになります)、その都度、カラダの感覚へかえる。
それを繰り返しているうちに、カラダのもっと奥へ、自分の内側へ、奥深いところへ意識が届き、
いつの間にか本当の自分につながる、自分にかえっている一瞬を、感じるかも知れません。
日常生活のどんな時でも自分の内側に意識を向けられればそれに越したことはありませんが、
なかなかそういうわけにもいきません。
だからといって、
洪水のように情報があふれている外部に飲み込まれたまま過ごしていたらどうなるのか。
外向き一辺倒の意識にブレーキをかける。
そのために、今日もマットの上に立ちます。