今日はムーンデイ、満月です。
アシュタンガヨガでは、ムーンデイには練習を行いません。
いつもは練習している時間に、頑張ることについて思いを巡らせてみました。
「なぜ頑張ってしまうのか」。
そんなことを考えたことはあるでしょうか。
そもそも頑張ることを、どうとらえているでしょうか。
以前にも書きましたが、
頑張るの頑は、「頑な(かたくな)」という言葉です。
頑なとは、
自分の意見や考え、主張に固執し、変えようとしない態度のことをいいます。
そして、頑張るの語源は「我を張る」。
つまり、頑張るというのは、
私が、私が、というエゴの意識が頑なになっている状態なのです。
だから、
「なぜ頑張ってしまうのか」
それは、
二元的な価値観に囚われたエゴの意識が頑なになっていて、
そこから離れられないからなのです。
頑張るエネルギーはエゴを増幅させます。
増幅されたエゴは、さらにもっともっとと何かを求め、心身を浪費させます。
疲れます。
しんどいです。
頑張ることを良しとしているなら、
「なぜこんなに頑張っているのに疲れるのだろう」
と思うかも知れません。
理不尽だ、
と叫びたくなるかも知れません。
でも、頑張って疲れるのは当然なのです。
増幅したエゴが、心身を消耗させていくのですから。
それでは、頑張らないためにはどうすればいいのでしょうか。
それには緩めること。
カラダも心も緩めてあげることが大切なのです。
「堪忍袋の緒が切れる」
ということわざがあります。
溜め込んだ怒りや我慢といった想念でぱんぱんの巾着袋。
袋の口はぎゅっと縛られ、
縛っている紐は左右に引っ張られています。
頑張っているときは、
袋(心)の中に想念をせっせと溜め込んでいる状態です。
口を縛った紐を緩めてあげないと、
いつか袋(心)に収まらなくなり、
紐はブツリと切れてしまいます。
袋の紐を左右に引っ張っているのは善悪の感情、
二元的な価値観です。
二元的価値観がなければぎゅっと縛った紐は緩み、
ほどけていきます。
ほどければ袋は開いていくし、
開き切ったら内と外の世界も無くなる。
袋そのものがなくなるのです。
それは、頑張らなくても自然に流れてゆく世界。
さらさらと流れ、どこにも無理がありません。
まぁ、すぐにそんな状態になることは叶わなくても、
まずは頑張っていることに気づくことが大切です。
「あ、頑張っているな」
と思ったら、
どこかに頑なさがあるという証拠。
それに気づいたら、緩める工夫もできるというものです。
自分を緩めるために、好きな工夫を見つけてみましょう。
好きな工夫を見つけたら、
心もカラダも少しずつ緩め…‥・・ ・ ・
そうしているうちに、
頑張っていない自分がそこにいるかもしれません。
頑張らないために最適な、ヨガニドラについてまとめました。
興味をもたれた方は、こちらの記事をどうぞ。