《書評》『答えより問いを探して 17歳の特別教室』高橋 源一郎

読書

自分が学んでいるヨガの講座の中で、他の受講生さんが紹介してくれた本書。

「答えより問いを探して」

まるで自分に対して言われているような言葉に、とても興味を惹かれました。

「答えより問いを探して」

一体何が書かれているのか。
問いを探すヒントをください、という願いにも似た思いを抱きながら、
最初のページを開きました。

答えより問いを探して [ 高橋 源一郎 ]

自分にとっての答え

いわゆる普通の学校で「正解」を教えられる教育を受け続けていくと、
なにかの問いにぶつかったとき、「どこかに正解があるかもしれない」と思ってしまいます。

でも、「正解」がどこにあるのかわからない、
もしかしたらないかもしれない問題はたくさんあります。

なんのために生きているの?
自殺してもいいの?

そんな問いに答えるために必要な力は何なのか。
本書では、読むこと、書くことを通してその一端に迫ります。

この本の元となった特別授業は、「きのくに子どもの村学園(以下、きの校)」を母体とする「きのくに国際高等専修学校」にて行われました。
「きの校」の理念と形は、普通ではありません。
学年がない、普通の教科の名前がない、宿題がない、チャイムがない、試験がない、普通の通知簿がない、先生を先生と呼ばない、廊下がない、堅苦しい儀式がない …
とにかく、多くの学校にあるものが「ない」のです。

そんな「新しい学校」で、作家でもあり元明治学院大学教授でもある著者が、今の「普通の学校」ではできないような授業を行った記録が綴られています。
(ちなみに、同様の授業(専門もつ大人が、現役高校生を対象に現代を生き抜くうえで必要な知恵を伝えるために行なった特別授業)は「17歳の特別教室」としてシリーズ化されています)。

どんなに素晴らしい先生についても、どんなに素晴らしい知識やアドバイスをもらっても、それを使いこなさなければ何にもなりません。自分に教えてくれる最後の責任者、最後の先生は、自分自身だけです。

p89

この本が繰り返し教えてくれるのは、「自分で考える」ということです。
自分の外側に正解を求めるのではなくて、自分の内側をのぞいて、「自分にとっての答え」を取り出すこと。

取り出したそれは、普通ではないかもしれないし、常識でもないかもしれません。

でも、常識ってなんでしょうか?
常識は、単に社会の多数派の人たちが「正しい」と考えていることで、
けれど、それがほんとうに「正しい」のかどうかはわかりません。

そんなひとつの狭い常識のなかで生きるのはやめて、
「もっと考えてみては」
と勇気づける声がきこえてきます。

教育で得られる正解は、知識を豊富にしてくれるかもしれませんが、
正解のない問いに自分にとっての答えを見つけ出せなければ何にもなりません。

自分にとっての答えを見つけ出す力、
それが知恵です。

知識を知恵に変えるために、
わからないことを考える。
「絶対にありえないこと」を疑ってみる。
遠くに正解を探さず、自分の体験を通して理解する。

もしかしたらそれは、私たちが元々もっていた自然な探究心を取り戻すことなのかもしれません。

「なぜなのか」と問う気持ち。
「知りたい」と思う気持ち。

そして究極の問いは、「自分自身とは何なのか」──

この本を読んでいると、正しいとか正しくないとか、そんなことより遥かに大事なものがあることを感じられます。

正しいとか正しくないとかには収まりきらない、もっと考えたいこと。
正解にこだわって視野を狭くし、自由に考えられなくなることのもったいなさ。
世間や社会の常識に流されそうな自分に向かって「ちゃんと考えなよ」と励ます、もうひとりの自分を持つことの大切さ。

考えることをやめないこと。
考え続けること。
それが、「自分」という不思議なものを知ることにもつながっている ──
そんなことを教えてくれる授業でした。

タイトルとURLをコピーしました