何年も前に話題になっていたのに、その時はなぜか読みそびれていた
『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』。
遅ればせながら読んでみたらそれがあまりに面白かったので、
続編もあるとわかって嬉しくなりました。
これは読まねば、とすぐに読み始めました。
ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー2 [ ブレイディみかこ ]
「ライフって、そんなものでしょ。」
前作に引き続き、元底辺中学校に通う「ぼく」の日常は事件続き。
不要になった服のリサイクルで感傷的になったり、
友人関係がちょっとトリッキーなことになったり。
進路問題でバンドメンバーと揉めたとおもったら、
20年以上前から常にそこにいた隣人たちが引っ越して行く。
そして、
母の国で祖父母とひとときを過ごし、涙の別れが訪れる ── 。
著者である母、ブレイディさんに
「カトリックの学校に行かなかったこと、後悔している?」
と聞かれた「ぼく」は、
著者の顔を見てちょっと考えるような表情になります。
1年前には何の迷いもなく
「いまの学校にしてよかった」
と答えた彼が、
即答せずに考える。
そして答えた「わからない」という言葉に、
著者は頭をがつんと殴られたような衝撃を受けます。
そこには、親にも見せない息子さんの複雑に変化していく日常が透けて見えます。
「どっちが正しかったのかはわからないよ。
僕の身に起きることは毎日変わるし、僕の気持ちも毎日変わる」
相変わらず親子をとりまく差別、経済格差、暴力、分断 …
でもそんな諸々を経験しながらも彼は言うのです。
「でも、ライフって、そんなものでしょ。
後悔する日もあったり、後悔しない日もあったり、
その繰り返しが続いていくことじゃないの?」
この逞しさ。
もう子どもとは呼べない少年が、
凛々しささえ感じられる青年へと成長していく日々が描かれています。
「親ってのはね、そういう風に子どものために自分を犠牲にしたりするもんなのよ」
p196
しばらく考えるように黙っていた息子が、わたしに尋ねた。
「母ちゃんも、そうする?」
じっと息子がわたしの顔を見ているので、わたしはきっぱりと答えた。
「いや、しない」
もう、笑っちゃいます。
この会話。
しんみりしそうな場面に明るい光が差してくるのは、この親子のざっくばらんな会話のおかげです。
息子さんの真剣な問いかけに、著者もまじめに答える。
建前ではなく、本音で話す。
そして、
息子さんの言動から新たな発見をし、
いつの間にか物書きの立場から真剣に喋っている自分にハッとする著者がいます。
加えて、著者の配偶者の存在も外せません。
柿の種が大好きな配偶者は、物が捨てられなかったり、労働者階級の自分を卑下したり、そりゃあもちろん欠点もあるのですが、なんだかバランス感覚があるのです。
著者と息子さんの会話を柿の種をぼりぼり食べながら聞いていたと思ったら、「おっ」と思うようなことを言います。
「•••••父ちゃん、いまなんか、ちょっと深いこと言ったね」
みたいな顔つきを息子さんにさせます。
自分の息子を1人の人間として尊重し、
社会問題をまじめに語り合える著者と配偶者がいるから、
「ぼく」もいろいろ考えて、
こんなふうに逞しく成長していけるのだということが伝わってきます。
過去の自分に「この本早く読みなよ」と言ってやりたいくらい面白かった前作の続編。
今回も、英国の「地べた」、元公営住宅地、元底辺中学校で繰り広げられる政治、経済、労働、貧困、切実な社会問題が綴られている作品でした。
でもやっぱり、その重さを感じる以上に、それを突破する逞しさがあるのです。
少しずつ、著者の知らない息子さんが増えていく。
本物の思春期に突入した彼は、ますます複雑な社会に突入していく。
それでも、考え続けることをやめない限り、この煩雑で困難な世の中に対処する術を失うことはないはずです。
重くて暗くなりがちなテーマを、今回もブレイディさんの文章で思い見ることができました。
無知な領域に光が差し込む。
この完結編も、力を与えてくれる作品でした。