《書評》『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』ブレイディみかこ

読書

新聞広告で、著者の『他人の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ』が文庫本になったと知りました。

『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』の大人の続編

と書かれていましたが、題名をよく耳にしていながらなぜか未読の『ぼくは〜』。
であるならばまず正編から、と本書を手に取りました。

ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー [ ブレイディみかこ ]

「いまはどっちかっていうと、グリーン」

グリーンの意味。
「環境問題」とか「嫉妬」とかいう意味もあるけれど、「未熟」とか「経験が足りない」とかいう意味もある。

そんなグリーン。

著者の息子さんが、この本のラストで自分を表して言った言葉です。

この本では「無知」というキーワードがよく出てきます。
無知であるから争う。
無知であるから差別する。
無知であるから傷つける。
無知であるから他人を裁く。
無知であるから喧嘩や衝突が絶えないし、
無知であるから分断がうまれる。

無知であるから、無知であるから、無知であるから…

未熟というのは無知なのでしょうか。
ある意味そうかもしれません。
知らないという点では、未熟と無知は同一なのかもしれません。
でも、
この息子さんが発するグリーンの何と鮮やかなことか。
無知に含まれる暗さやネガティブさが全くない。

まっさらなキャンバス。
澄み切った空。
濁りのないせせらぎ・・・
そんな清々しさを感じさせる「グリーン」。

この本は、ふわふわバブルに包まれたようなカトリック系小学校で過ごした著者の息子さんが、元底辺中学校に進学するところから始まります。
殺伐とした英国社会を反映するリアルな学校生活。
そこでの生活を通して、
知っていくこと、理解していくこと、社会に足を踏み入れていくことを体験します。
現然と存在する差別、社会問題、多様性とその難しさに直面します。
その度に、悩み、考え、迷いながら、それでも進んでいく。

差別、経済格差、暴力、分断…
そんな重くなりがちな内容が、著者の軽やかな筆致で描かれています。

「老人はすべてを信じる。中年はすべてを疑う。若者はすべてを知っている」と言ったのはオスカー・ワイルドだが、これに付け加えるなら、「子どもはすべてにぶち当たる」になるだろうか。どこから手をつけていいのか途方にくれるような困難で複雑な時代に、そんな社会を色濃く反映しているスクール・ライフに無防備にぶち当たっていく蛮勇(本人たちはたいしたこととも思ってないだろうが)は、くたびれた大人にこそ大きな勇気をくれる。

p7

このリズミカルな文章は何なのだ!

最初に感じた驚きです。
内容も確かに面白い(面白いと言っては語弊があるのかもしれませんが、でも面白いのです)
がそれと同等かそれ以上に、
ページを繰る手が止められない文章のリズムに楽しくなりました。

そしてその興奮とともに読み進めると、よくもまぁこれだけ、と思うほど次から次へと事件が起きます。
日常の些細なことからメディアで報道されるような大々的な出来事まで、
大人なら考え込んでフリーズしてしまうようなさまざまなケース。

でも、子どもはフリーズしていません。
そんなひまがあったらさっさと行動します。
それはまさに「ぶち当たっていく」感じ。

その姿は、見ていて(読んでいて)気持ちの良いものです。
思ったようになってもならなくても、悩んで考えてずんずん進んで変わり続ける。
そんな逞しさが、困難で複雑な時代に立ち込める暗雲を吹き飛ばす明るいエネルギーを感じさせてくれます。

なぜもっと早く読んでおかなかったのだ。

過去の自分に「この本絶対面白いから早く読みなよ」と言ってやりたいくらい、
惹き込まれて一気に読み終わりました。

無知の弊害、多様性の複雑さ、緊縮政策による経済格差の拡大、移民問題…
英国の「地べた」の視点から政治、経済、労働、貧困、切実な社会問題の諸々を照らし、現代の困難で複雑な様が綴られている本書。
でもその重さを感じる以上に、それを突破する力強さと明るさを感じました。

重くて暗いテーマを重くて硬い文章で読むのはちょっと(いや、かなり)しんどい。
だけど、ブレイディさんの文章でならもっともっと読んでみたい。
そして望むべくは無知な領域に光を

そんなふうに思わせてくれる著者に出会えたことに、感謝しています。

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