《書評》『読んでばっか』江國 香織

読書

「本のプロが導く 夏の読書」と題する新聞誌面の中で、冒頭に取り上げられていたのが江國香織さんのこの本でした。

気になりながらもなかなか手に取ることができず、今年(2024年)の異常ともいえる長い夏がようやく終わり、短い秋があっという間に通り過ぎようとするころ、ようやく読むことができました。

本のプロである江國さんがどんなふうに他者の作品に触れ、
お薦めされているのか、
興味津々で読み始めました。

読んでばっか [ 江國 香織 ]

没頭

江國さんがこれまでに読んできた、そして忘れ難い作品の数々が、これでもか、というほど紹介されます。

Ⅰ なつかしい読書
Ⅱ 本を読む日々
Ⅲ さらに本を読む日々

と三部構成にはなっていますが、その違いをはっきりとは認識できぬまま、一気に読んでしまいました。
だって全編が、江國さんの語り、江國さんの世界なのですから。

絵本、童話、小説、エッセイ、詩、そして海外ミステリー ……
触れられる作品は多岐に渡りますが、
でも一貫して江國さんの世界が続いていきます。
それはさながら、江國さんの旅行記。
江國さんがあとがきに書いておられる通り、「旅の記録」です。

恥ずかしながら、紹介されている作品のほとんどは知らないものでした。
それでも、この旅の記録を存分に、飽くことなく楽しむことができました。

 おもしろい本を読んでいるときの、子供のころのふっくらした時間の充実感は、大人になるとなかなか得難い。(中略)ただ本のなかに入って行って、言葉を追い、その言葉が立体的になって一つの時空間が発生し、ここがそこになり、それまで知らなかった人々と、ここでではあり得ないほど深く親密に知り合い、ここの現実よりずっと確かに思えるそこの現実を呼吸し、たっぷりとそれを生き、「あー、おもしろかった」と言って読み終える至福の読書体験を、当時は贅沢に享受していた。得難いとも思わずに。

p206

子供のころの読書。
それは本当に特別で、まさに至福の体験でした。
夢中になり、時間を忘れ、しばしばそこから抜け出せなくて、
けれどそれを誰に咎められるわけでもない。
いくらでもその世界に浸り、それを生きることができた、あの贅沢 ──

江國さんはその体験を、大人になると得難いと書かれています。
ですが本書を読んで感じたのは、江國さんは今でもなお、その至福体験を享受されているのであろうという勝手な憶測と、羨ましさでした。

本書を読んでいると、江國さんが本当に読書を楽しんでいることが伝わってきます。
没頭し、入り込んで、そこの世界を旅している。

その様を読んでいると、
本を読む楽しさには、私がまだ到達していない、さらにその先があるのだと教えてくれているようで、
もっともっと本のなかに出かけていきたくなりました。

本書の最初に、江國さんへのアンケートが載っています。
「本はどうやって選びますか。」という質問に、「本屋さんで見て選びます。」と回答されています。
本の佇いとタイトル、紙の手ざわりで、読むべき本かどうかが大抵わかるのだそうです。

はぁ …
そんな境地に達するほど本に触れてきてはいませんが、
この本の裏表紙、山本容子さんの描く可愛らしいプラテーロを一目見た瞬間、
私にとって本書は読むべき本だとわかりました。

なぜここにプラテーロ?と思ったら、アンケートの最後の質問「もっとも読み返した本は何ですか。」に、「ヒメネスの『プラテーロとわたし』だと思います。」というお答え。

こんなところでプラテーロと出逢えるなんて。

「旅人同士がどこかでばったり会って、いっしょにビールでものみながら言葉を交わすくらいには情報量のある一冊になっているといいなと願っています」という想いは、こんなところにも繋がっていました。

この本で綴られる書評や文章のひとつひとつは、さらなる旅にいざなう魅力あるものばかり。
その言の葉に誘われて、新しい旅に出たいと思います。

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