《書評》『ライチョウ、翔んだ。』近藤 幸夫

読書

新聞の読書面に、
「ライチョウのおかげで人生の第2の扉を開けてしまった」
と苦笑する著者が紹介されていました。

どんな本かと調べてみたら、
表紙のその愛らしさに思わず記事を読み返してしまいました。

そんな愛くるしいライチョウを中央アルプスに復活させるべく奮闘する、鳥類学者の不断の挑戦を追ったノンフィクション。

「神の鳥」復活の記録です。

ライチョウ、翔んだ。 [ 近藤 幸夫 ]

飛来メス

ライチョウ復活作戦が始動したきっかけは、登山者から寄せられた1枚の写真でした。
そこに写っていたのは1羽のメス。
場所は中央アルプスの木曽駒ヶ岳。

しかし、そんなはずはありません。
中央アルプスのライチョウは半世紀前に絶滅したとされており、そこにはいるはずがないのです。

それにもかかわらず、写真には確かに1羽のライチョウ。
見間違えようのない事実 ──

どこからともなく中央アルプスに飛んできた1羽のメス、
後に「飛来メス」と呼ばれるようになったこのライチョウをきっかけに、
鳥類学者・中村浩志を筆頭に、環境省、動物園、博物館、研究機関、報道関係などを巻き込んだ前代未聞の一大プロジェクトが動き出し、
その渦の中に筆者も巻き込まれて…
いや、
積極的に飛び込んでいくのです。

「木曽駒ヶ岳で見つかったメスのライチョウは、自然に対する人間の責任を問うために飛んできた、まさしく神の鳥なのかもしれません」

p267

ライチョウがなぜ「神の鳥」とよばれるのか。

それは、かつて人と自然が調和し、
日本人のこころに当たり前のように山岳信仰が宿っていたことに由来します。

里山の森は、田畑の肥料となる落ち葉を集めたり、燃料の薪を拾ったりする生活の場。
一方、里から離れた奥山は神の領域としてあがめる対象であり、人がむやみに立ち入ってはならない地域でした。

その奥山に棲むライチョウも山の一部としてあがめられ、大切に守られてきたために、
現在でも日本のライチョウは人を恐れないのだそうです。

ところが、山村の過疎化は里山を荒廃させ、ライチョウの天敵であるシカやイノシシを激増させました。
ライチョウのエサとなる高山植物はシカやイノシシに食べ尽くされ、高山植物の花畑は姿を消していきます。
その上、数十年前にはいなかったサルまでが高山帯に姿を表し、ライチョウの生存を脅かします。

そんな中でのライチョウ復活作戦は困難を極めます。

飛来メスが初めて孵化させたヒナは低温による衰弱で、あるいは天敵による捕食で全滅し、
雪辱の2年目はニホンザルの群れにやられます。

落胆する著者に対し、しかし中村は言います。

「僕はサルを特別憎いとは思っていません。  
 数十年前に高山帯にいなかったサルたちが平地で数を増やし、高山帯に上がってきた。  
 そのこと自体が問題なのです。」

猿が、
それ以外の生物が、
本来の生息地を外れてライチョウの天敵となってしまう本当の原因。

それが突きつけられる復活作戦を、息を凝らして見守りました。

表紙に写る真っ白なライチョウの愛くるしさに惹かれて手に取った本書。
そこには、ひとつの絶滅危惧種の存続をかけて戦う、無数の人たちの情熱がありました。

そしてそれは、鳥類学者・中村の人物像に魅せられ、
中村と飛来メスが紡ぐ奇跡の物語を記録するために、
山岳ジャーナリストとしての道を選んだ著者がいたからこそ知ることができたものです。

人の人生をも変えてしまう「神の鳥」ライチョウ。
その立役者となった飛来メスが、2023年10月現在も生存確認されたことを巻末年表で知り、安堵のため息が漏れました。

人間の思惑など知る由もなく、過酷な状況にさらされながらも、本能に従い命を循環させているライチョウ。
ライチョウは絶滅したといわれた中央アルプスでは今(2024年)、120羽を超えるライチョウが歩き、ついばみ、羽ばたいているそうです。

その循環が途切れませんように ──

そう願わずにはおれない、渾身の記録でした。

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