《書評》『続 窓ぎわのトットちゃん』黒柳 徹子

読書

『窓ぎわのトットちゃん』は、はるか昔の子どもの頃、
寝る前の読み聞かせで読んでもらった記憶があります。

いつも後半は、夢とうつつを行ったり来たり。
どこまで読んでもらったのか、
次の日に、
続きから読んでもらっていたのかさえ曖昧です。

それでも、面白く聞いていた気がします。

特に印象に残っているのは、
海のものと山のもののお弁当、
電車の教室、
そして、
トットちゃんが教室の机の蓋を開けたり閉めたりしているところ。

そんな懐かしいお話の続編。
どんな物語が待っているのか、わくわくしながら読みはじめました。

続 窓ぎわのトットちゃん[ 黒柳 徹子 ]

トットはピンときた。

大人になった徹子さんがなりたかったものは、「子どもに上手に絵本を読んであげるお母さん」。

そのなりたいものに近づけそうな体験には、
これいいかも、役に立ちそう、おもしろそう、
と思った体験には、
どんどん飛び込んでいきました。

なんだかよく分からなくても、
ピンときたことには逆らわず、どんどん体験する。

女優になりたかったわけでも、
司会者になりたかったわけでも、
ましてや、
有名人になりたかったわけでもない。

絵本を上手に読めるようになるために。
自分がやりたいことをできるようになるために。

そのためにしたことが、
今の徹子さんをつくったのです。

あとがきに徹子さんも書かれているけれど、人生はおもしろいものだと思いました。

なんという偶然! 新聞のまん中にNHKの広告を見つけて、トットはピンときた。テレビジョンがなんなのかはよくわからなかったけど、朗読の仕方とかを教われば、絵本が上手に読めて、いいお母さんになれるに違いない。 

p175

徹子さんの、「ピンときた」時の行動力が、素敵です。
それがなんなのか分からなくても、ピンときたら行動するのです。

そうすると、どんどん状況が動いていきます。
そして、最初は想像もしていなかったところに、たどり着いているのです。

人生には、そんな側面があります。

小さなことや大きなことに関わらず、
ピンときた時に行動し、
目の前のことを無我夢中でやっているうちに、
自分が思い描いていた未来より、はるかに豊かなところにたどり着いていた、
ということが。

でも、そこにたどり着くためには、まず動かなければいけません。
徹子さんは、「ピンときたら行動する」のお手本のような方だな、と思いました。

誰にでも、理性では理解できない「ピンときた」の瞬間があると思います。

でもつい、
「億劫だな」
とか、
「現実的でないし」
とか、
頭でいろいろ考えて、
「ピンときた」を無視してしまうことがあるのです。
空想だけを楽しんで、結局そのままうやむやにしてしまうことも。

私にもあったし、今でもあります。
でも、それではなかなか状況は動きません。

「ピンときた」は、
自分では想像もできない豊かなところへたどり着くための、
ミラクルな感覚なのかもしれません。

そんな「ピンときた」を無視するなんてもったいない!

この本を読んで、「ピンときた」にはできるだけ素直に従おう、と決めました。

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