《書録》『子どもの本の森へ』河合 隼雄、長田 弘

読書


『子どもの本の森へ』は、臨床心理学者の河合隼雄氏と、詩人で児童文学作家である長田弘氏が、子どもの本の「名作」について縦横無尽に語る対談集です。

著者はふたりとも子どもの本が好きであり、多くの大人の人たちに、子どもの本を読んでもらいたい、という願いを持っていました。
そのわけは本書でも存分に語られていますが、子どもの本にあらわれる「真実」は、「人間のたましいに直接作用してくるように感じられる」からでした。

「名作」というものは、あんがい読まれていなかったりするものです。
子どもの本が好き、といわれるおふたりであってさえ、読むのを敬遠してきた名作はあり、
そんな作品をこの機会に読むことで、あらためて感動されたりもしています。

著者のおふたりは専門がちがい、同じ本を読んでも目のつけどころが異なります。
そんなそれぞれの思いがけない発想は、この対談を楽しく、そして魅力的なものにしています。
本についてのコメントが、子どもの存在や人間の存在について、そして現在の社会やこころの問題に発展していることもしばしばあり、作品を超えて世界への洞察にもつながります。

本書を読んでいると、おもわずその作品を読みたくなり、
「子どもの本」の深淵なる森へ、一歩を踏み出したくなります。

著者が入り込んでしまった森の奥へ、奥へ ──
ひきこまれてしまう対談です。

基本情報
・タイトル :子どもの本の森へ
・著者/編者:河合 隼雄(著)、長田 弘(著)
・発行日  :2025年2月14日
・ページ数 :240p
・出版社  :岩波書店

【 読書メモ 】

◾️ ぼくが子どもの本が好きなのは、人間の心の働きの深いところを見つめるという自分の仕事から考えてみると、人間の心の働きを、すごくすっぱりと書いている魅力ですね。(河合)
 子どもの本の物語は、原型的ですよね。具体を語って、原型をぱっと目のまえに差しだす。(長田)

◾️ この物語は、大人になる、あるいは大人になりたくない、大人になれない、ならないとはどういうことかを考えるために、父親や母親こそも手にとって読みたい本だ。読めば、ほとんど常識を覆されます。(長田、『ピーター・パンとウェンディ』)

◾️法律に正しさを求めるのでなく、自分たちの生き方に正しさを求めるというか、この物語は人間にとっての誇りとは何か、そうした誇りがつくられるまでにどのようにさまざまな経験が関与するかということを、胸つまるような物語を通して語りかける。(長田、『子鹿物語』)

◾️普遍的なものを個別的に語ることができなきゃいけない。(長田)  そうです。もとの話がすごい普遍性を持っていて、ちょっと味つけみたいなことをしてやれば、すっと相手の心の中へ入っていく。(河合)
 化け物、魔物、竜、オオカミ、そういうものも、TVではまず形になって出てくる。それもごく類型的に出てきてしまう。それは想像力にたいする違反なんです。(長田、昔話の魅力)

◾️ E・L・カニグズバーグの『クローディアの秘密』と『魔女ジェニファとわたし』のなによりのおもしろさは、「秘密」というものの大事さが書かれていることです。ふつうは秘密をもってはいけないというところから教育が始まると考えられやすいんだけれども、ほんとうはその逆。(長田)
 題に「秘密」が入っているだけで、子どもは買いたくなるものですが、作者は秘密をもつことの意味をそうとう語らせています。その点で画期的だったんでしょうね。(河合)
 人は秘密をもつことによって自分の個を発見するというのが、作者が送っているメッセージですね。秘密は「隠すもの」ではなくて、「見いだすもの」なんです。(長田)
 言いかえれば、こっそりお金を盗むというような秘密は、あまりにもありふれたことなので、個にならない。個になる秘密というのはたいへんなんです。子どもはその秘密を大事にして、ある意味ではそれが秘密でなくなるような体験のなかで大人になっていくというか、もうひとつ成長するわけです。(河合)

◾️子どもの本の特質をなしているのは、大人の世界ではマイナスとされ、マイナスと言われていることこそ、むしろもっとも大切な主題なんだという考え方であり、感じ方ですね。
 シルヴァスタインの『ぼくを探しに』というのはとっても人気のある絵本ですが、その主人公の「ぼく」は、何かが欠けているわけです。「きみは何か欠けてる」というのは大人の世界では欠点ですが、ここでは、欠けたものをもっているのでなければ、何も見つけることができないんですよね。(長田)
 ええ。それで、その欠けているかけらを見つけても、それがあんまりぴったりでも困る(笑)。(河合)
 結局、ぴったりおさまっちゃうと、それでおしまいになってしまうから「ぼく」は欠けた「ぼく」のままでいないといけないと思う。(長田)
 あれはなかなか味があると思いましたね。(河合)
 絵本は、物語のゴールがあってそこに到達するというんじゃなくて、ぐるっとまわって最初にもどる。けれども、最初と状況は違わなくっても、もうすでに自分は違った自分になっている。(長田)

◾️周りがどんどん変わっていっても、変化のなかに変わらないものがあり、そして変わるものは変わらないものを通して変わっていく。政治が歴史のように考えられるけれども、いろいろどう変わっても朝があり昼があり夜があり、青虫は蝶になる。世界にはそういう変わらないものがあり、そこに大切なものがあるというのを、絵本は語りかける。(長田)

◾️ゆっくりめくっていくうちに、絵本が手がかりになって、自分のなかにどう言ったらいいかな、もう一つの時間ができていく。あるいは、読み終わって、時が経つうちに、やっぱり絵本が手がかりになって、記憶のなかにもう一つの時間ができていく。人生全体から見たら、絵本を読む時間、読んだ時間なんてほんのちょっぴりで、とうてい長い時間なんかじゃないのに、のこるのです。確かな時間として、そこだけはっきりした時間になってのこる。ですから本であっても、絵本によってのこるものは、絵画や音楽によってのこるものにずっと近いですね。(長田)

◾️『トムは真夜中の庭で』や『まぼろしの小さい犬』なんかは、それを読んでいるのと読んでいないのとでは、自分はずいぶん違うだろうとはっきり感じられる、そういうあざやかさを心の中にのこすような本だと思いますね。(長田)
 まだまだありますよ、そういう本が、子どもの本の世界には。(河合)

人間は忘れる生き物。
 どんな感動もどんな興奮も時が経てば記憶の底に沈みゆき、その片鱗さえも見失いがちです。
 それは読書も同じこと。
 読んだ直度の高揚が、数日後にはすっかり雲散霧消 などということも。
 ですが、読みながら機微に触れた内容を整理しておけば、大切なエッセンスだけは自分の中に残る── はず。

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