かつて、
奇抜な設定と阿部寛さんの演技に大笑いさせてもらった
映画『テルマエ・ロマエ』。
その原作者であるヤマザキマリさんが
老いと死にまつわるエッセイを書かれました。
マリさんの、
老いと死への向き合い方に興味を惹かれて、
手に取りました。
CARPE DIEM 今この瞬間を生きて [ ヤマザキマリ ]
生きて死んでいく
私たちは
「自分が生きている意味を見い出したい」
とか、
「生きている喜びを噛みしめたい」
などと、
当たり前のように思っています。
「健康で長生きすることは良いことだ」
という思い込みもあるかもしれません。
でも、
そんなふうに思いながら生きているのは、
おそらく人間だけです。
自然に生きる動物や草花に、そんな感覚はありません。
ただ生まれ、
一瞬一瞬を自然の法則に従って生き、
死んでいく。
人間以外の動植物には、
自らの寿命以上の延命に対する欲求や執着はなく、
ただ淡々と生きて、
そして、
死んでいくのです。
私たちはなぜか皆足並みを揃えて、若さと延命の信者となっていますが、私はどちらかと言えば、ありのままの人間としての生態を擁護したいと思っています。地球が決めたルールに則って、地球上に生きるその他大勢の生物と同じ様に、生きて死んでいく。そういう意識を腹に据えた方が、ずっと毎日を大切に、そして潔く過ごせる様な気がします。
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生きることは、本来シンプルなはずです。
生きて、この世界を体験し、死んでいく。
そこに、
若くあらねばならない、
健康でなければならない、
社会の役に立たねばならない…
そんな「ねばならない」をどんどん盛り付けていけば、
重い荷物に耐えきれず、
今を素直に体験することができなくなります。
人生に予定調和はありません。
天災、人災、病気に経済、
時に思いがけない災難や悲しみにも見舞われます。
そこまで大きなことではないにしても、
天気が急に変わったり、
電車が遅延したりなどということは日常茶飯事です。
この世界は、
一糸乱れず予定通りにいくほうが異常であり、
予定外の展開こそが自然なのです。
そして私たちは、
その自然の流れにのって生きていくしかありません。
そこに、余計な荷物は不要です。
人間を生きるとはどういうことなのか。
マリさんは、
小さい時から昆虫に限らず、
鳥や魚や爬虫類、犬や猫に至るまで多くの動物と過ごし、
その潔い死への態度を目の当たりにしてきました。
イタリアで過ごした日々は、
日本とは違う老いへの向かい方をマリさんに教えてくれました。
マリさんのお母さまは、
人生を満遍なく謳歌し、
あらゆる人としての機能と感性を使い切って亡くなりました。
そうした体験を経てたどり着いたマリさんの死生観が、
優しく、
そして力強く語られます。
人間は精神性を宿し、他の動植物とは違って生きることに意味を求めます。
回答があるのかどうかはわかりません。
できることは、
望んできたことも望んでいなかったことも体験しつつ、
山あり谷あり、
紆余曲折の人生を生きていく。
それだけです。
その時、
周りが決めた人間の生き方というものに翻弄されず、
余計な荷物はおろして、
この生を生き生きと生きていくことができたなら、
生きていることは素晴らしいと思える瞬間が増えていくのではないでしょうか。
「思い煩うことなく、今 この瞬間を生きて」
読み終わった時、
マリさんの声がふっと耳元できこえてくるような、
そんな一冊でした。