熱狂的な村上春樹ファンというわけではありませんが、新聞誌面で「春樹作品 初のアニメ映画化」という文字と特徴的な画を目にした瞬間に、この映画を観る、と決めました。
なぜそんなふうに決めたのか…
理由は分かりませんが、しかし、映画との出会いとはいつもそんなものです。
馴染みの映画館で上映されるまでにすこし時間があったので、作品に含まれている原作の短篇などを読みながら、鑑賞する日を心待ちにしていました。
本作はオリジナル(英語)版と日本語版が公開されています。
鑑賞日には日本語版が掛かっていたので、フォルデス監督も当初から夢見ていたといわれる日本語版を楽しみました。
( 結末を暗示する内容が含まれています。これから鑑賞される方は、ご注意ください。)
作品情報
・製作年:2022年
・製作国:フランス・ルクセンブルク・カナダ・オランダ合作
・劇場公開日:2024年7月26日
・上映時間:109分
・監督・脚本:ピエール・フォルデス
・原 作:村上春樹
(「めくらやなぎと、眠る女」「かいつぶり」「バースデイ・ガール」
「UFOが釧路に降りる」「かえるくん、東京を救う」「ねじまき鳥と火曜日の女たち」)
(集英社『めくらやなぎと眠る女』『神の子どもたちはみな踊る』他収録)
あらすじ
2011年、東日本大震災直後の東京。
暗いテレビニュースを黙々と見続けたキョウコは、置き手紙を残して突然失踪。
残された小村は呆然としたまま、流される日々を過ごします。
甥の病院に付き添い、得体の知れぬ小箱を運び、行方不明の飼い猫を探す。
そんな彼の脳裏を、時折キョウコの言葉がよぎります。
一方、小村の同僚である片桐の前には”かえるくん”が突如出現。
迫りくる次の地震から東京を救うため、片桐の助けが必要だと訴えます。
小村、キョウコ、片桐。
順風満帆ではないけれど平々凡々な人生を歩んでいると思っていた3人は、自分が歩んでいた道が行き詰まっていたことに気づき、そのままではいられない状況に追い込まれます。
主要人物
小村(声:磯村優斗)
東京信託銀行融資課で働く平凡なサラリーマン。
妻キョウコが失踪するも、表面上は淡々とした日々を過ごします。
しかし時として、キョウコの残像が、どこまでも続く暗い地下道の夢が、彼の心を揺さぶります。
キョウコ(声:玄理)
小村の妻。
「あなたとの生活は空気の塊と暮らすみたい」という置き手紙を残して失踪します。
二十歳の誕生日に印象的な出来事があり、それを今でも大切に覚えています。
片桐(声:塚本晋也)
小村の同僚。
自分に自信がなく、「なんで生きているのか自分でもわからない」と涙する男です。
そんな彼が、かえるくんの出現で変わっていきます。
かえるくん(声:古舘寛治)
片桐の自宅に突如あらわれた巨大なかえる。
無力な自分が東京を救うなど無理だ、と怖気付く片桐を巻き込み、東京の地震を阻止します。
目覚め
暗い階段を一段一段降りてゆく。
壁に手を這わせなければ進めないような真の闇。
降りた先には暗い地下道。
どこまでも続く暗く長いトンネル ──
そんな小村の悪夢から物語は始まります。
小村もキョウコも片桐も、この地下道のような暗闇に閉じ込められた日々を過ごしていたのに、
地震が起きるまではそれに気づいていませんでした。
気づいていなくても日々は過ぎていきます。
仕事がある。生活もある。少々の問題があったとしても、ある意味平穏な日々。
そんな日々が、明日も明後日もその先も、ずっとずっと続いていく ── 。
ところが、突然の地震はその日々に亀裂を入れました。
地震に魅了されたキョウコは失踪し、失踪したキョウコは小村を揺さぶります。
地震の恐怖は片桐の前にかえるくんを出現させ、それまでのように気づかぬままではいられなくなりました。
地震をきっかけに現れた何かが、3人の内側を揺らし、彼らの目を覚まさせることになるのです。
何を願おうと
どこまで行こうと
人は自分にしかなれない
目を覚まされた3人は、それぞれに閉じ込められた暗闇から動きだします。
小村は箱を持って釧路へ向かい、
キョウコは安泰な家から姿を消し、
片桐はかえるくんとともに異界へ飛び込もうとします。
今までには取らなかった行動。
その行動が引き金になり、閉じていた日々が動き出します。
ぎゅっと固められた日常の輪郭はゆるみ、詰めていた息は吐き出され、
何かが、
今までにはなかった何かが、
見え隠れします。
簡単ではありません。
どこへ行こうと何をしようと、自分自身はついてきます。
影のようについてくる自分自身からは逃げられない。
現と夢を行き来し、過去の記憶が呼び覚まされ、痛みを感じ、虚しさが込み上げる。
迷い猫は見つからないし、地震のニュースも続いています。
でも、
目覚める前とは違うのです。
違うはず、です。
映画を観る前に、原作となった短篇を何作か読みました。
久しぶりに手にした彼の作品は、やはり村上春樹の世界というものがある、と思わせてくれる特別な魅力に溢れ、しばしその世界に没頭してしまいました。
だからこそ、少し懸念もあったのです。
あの特別な世界がどのような映像になるのか。
どれも特徴ある6つの短篇が、どのような物語に再構築されるのか。
しかし、その心配は全くの杞憂に終わりました。
日本のはずなのにどこか異国情緒漂う風景、
日本人にも外国人にも見える人物像、
するりと日常に侵入する非日常、
そして、
白昼夢を見ているような感覚に誘われる幻想的な映像。
決してわかりやすい映画ではありません。
主人公たちの問題は解決されないし、明確な答えが示されるわけでもない。
(もっと言えば、絵柄の好みは別れるでしょうし、耳当たりの良い音楽が流れるわけでもありません。一般受けしない癖の強さもあります)。
それでも、
強固なものが緩んだ感覚がわかり、
今までとは違うことがわかり、
重い塊が軽くなっていることがわかります。
そして何より、
互いに絡み合う物語が紡ぎ出す映像に身を委ね、そこに揺蕩う感覚はとても心地のよいものでした。
こんな感覚を体験できるとは思ってもいなかったのですが、
村上作品で往々にして感じる、空想とリアルの透き間に分け入る浮遊した感覚を、
より強烈に感じる映像作品でした。
あの不思議な快感にもう一度身を委ねたい。
できればオリジナル版でも体験したい。
そんな後ろ髪を引かれる思いとともに、帰路につきました。
映画鑑賞前に、映画を構成する短編小説6篇のうちの3篇が収録された『めくらやなぎと眠る女』を読みました。
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