執着と好きの狭間で:
「止められない」と思っていたものを、ちょっと止めてみる

雑記

節分が近づくと、煎り大豆がいっぱい出回って嬉しくなります。
普段のスーパーには、煎り大豆はそれほど置いてありません。
置いてあっても、1種類か2種類。
下手するとない場合もあったりします。

なかった時のショック!
もう、カゴの中身を全部戻して、別の店へ行ってやろうかと思います。

そんな煎り大豆が、節分が近づくと、山積みしてあるのです。
しかも、普段ははなから置いていない、磯豆や五色豆まである。

キャー!!!

なんの話か分からない?
じゃあ、
煎り大豆を、あなたの大好きな〇〇に置き換えて読んでください。

つまり、そういうことです。
煎り大豆が大好きで大好きで、はっきり言って執着です。

毎日食べないと気が済まない。
それも、豆皿に少々、ではとても足りない。
在庫(!)が残り少なくなるとそわそわして、常にストックを常備。

あの味、あの香り、あの食感。
ヘルシーで健康にもいいし、おやつにしても罪悪感なし。
うーん、素晴らしい。

まぁ、ちょっと消化に負担がかかりますが、それくらいは目をつむって…

という感じできたのです。
なんと10年以上も。

ですが…

在庫なしでそわそわってちょっとおかしくない?

と今回「も」思ったのでした。
いままでも何度かそう思って、止めようとしたことはあるのです。
でもその度に、禁断症状が出て挫折。
「カラダにいいんだし」、
ということを言い訳に、再びポリポリしていました。

ですがつい最近、
カラダをメンテナンスしてくれる体内酵素のことを改めて意識し、
消化酵素の無駄遣いを減らしたくなりました。

  【酵素について詳しく知りたい方は、こちらの記事をどうぞ】

消化に悪いと分かっている煎り大豆を毎日、それも結構な量食べるのは、
明らかに消化酵素の無駄遣い。
貴重な代謝酵素が減っていく…

というわけで、何度目かの挑戦です。

大好きな大好きな煎り大豆、
ストックを食べ尽くしたところで、止めてみることにしました。

そうすると…

あれ?
無くてもいける?
???

なぜか、
禁断症状が出ないのです。

まぁ、食べたら美味しいことは分かっていますが、
無いと我慢できない、という感じはありません。

あっても無くてもどちらでもOK.
あれば幸せだけれど、無くても不幸じゃない。
まぁ好き、という感じです。

あの10年以上の執着が、こんなにあっさり外れたことに
ちょっと拍子抜けするとともに、
安心しました。

その上、なんだか胃が軽いような。

長年のことなので気がついていませんでしたが、
やっぱり大豆を消化するために、
胃に相当な負担を強いていたようです。

それにしても、
きっかけは酵素?
カラダの負担について考えたから?
そういう時期だった?

まぁ、はっきりしたことは分かりませんが、
執着がひとつ外れると、その分心も軽くなります
縛られていたものからの解放です。

もちろん、煎り大豆(あなたの好きな〇〇)が悪いわけではありません。
心もカラダも軽やかに、その好きなものを楽しめるのならいいのです。
私も、節分にはお豆をいただくつもりです。

ただ、その好きなものに少しでも重さを感じるなら、
何かをきっかけにちょっと止めてみたり、
今までのパターンを変えてみてもいいかもしれません。

私もまだ、煎り大豆以外にも、
「止められない」
と思っていることはいろいろあります。

そんなあれこれも、
今回のようにちょっとしたきっかけさえあれば、
意外とあっさり止められそうな気がしてきました。

焦る必要はないけれど、
少しずつ、
執着をただの「好き」に変えていけたなら、
心もカラダもさらに軽やかに

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