《書評》『八月の御所グラウンド』万城目 学

読書

今年の初めの頃だったか、第170回直木賞受賞の本書が新聞に大きく載ってました。
選考委員の方々の言葉が並びます。

「万城目さんしか書けない奇跡的な小説。」
「日常にふわっと入り込む非日常が、本当に巧みに描かれている。」
「うだつの上がらない主人公たちにまんまと感動した!」

そんな傑作青春小説(帯コピーより)を、猛暑の続く八月に読みました。
( 結末を暗示する内容が含まれています。これから読まれる方はご注意ください。)

八月の御所グラウンド [ 万城目 学 ]

大学四回生の夏休み。
茹だるような暑さの八月、京都。

「火がないから」
という意味不明な理由で彼女にフラれ、八月の暑さにも負け、
バイトもせずにただ怠惰に日々を暮らしていてもへっちゃらな人間に成り下がっていた俺は、
なんの因果か「たまひで杯」なる草野球の試合に参加することになってしまった ──

そこから、一夏の物語が始まります。

俺こと朽木も、朽木を野球に誘った多聞も、「その火はないのだろうなと薄々感じる」大学生です。
本来ならば目の色を変えて就職活動に励まなくては、いや、あがかないといけない時期なのに、脳みそからあらゆる前向きな意思や意欲が溶け出し、ただ無為に日々を過ごす朽木。
五回生の留年野郎(と自ら言ってのけるチャラ男)で、尻に火がつくような時期になって研究室に現れ、卒業論文の裏工作にいそしむ多聞。

火がないことに倦み、
しかし焦ったところで仕方がないと、
とりあえず多聞の卒業条件である「たまひで杯」の優勝を目指し、野球をするふたりです。

でも火が、
ないと思っていた火が、
いつの間にか小さく燃えはじめたことを感じます。

 「あなたには、火がないから」
 もはや別れた彼女のものではない、誰とも知れぬ声が耳の底でささやいた。  
 咄嗟に右手を突き出し、夜の真ん中あたりでそれをつかみ取った。そのまま、多聞を真似て左手に用意したつもりのグローブに、拳とともに投げこんだ。
 パチンと音を立てて手のひらで拳を受け止めたとき、心の中に炎が一個、証の代わりに着火したように感じられた。

p203

多聞率いる行き当たりばったりチームは、まさに行き当たりばったり。
メンバー九人が試合前に揃っていたのは、第一戦の初日だけ。
二戦目以降は試合開始直前になってもメンバーが足りず、試合不成立の負け試合か、というありさまです。

ところがなぜか、揃うのです。
多聞に「たまひで杯」優勝を命じた教授は言いました。
「心配するな、いつも、なぜか揃う。これまでもずっとそうだったから、心配せずに御所に行けばいい──」
その言葉通り、早朝六時のプレイボールは続きます。

教授の言葉は奇妙だし…
どこからともなく現れた強力な助っ人たちは出自が怪しい…
この草野球は一体…

俺はなにに巻きこまれているんだ、という疑念を抱きつつ、
しかし、朽木の心に野球への意気込みが芽生えてきます。

このクソ暑い夏の盛りに外で野球?頭おかしいだろ。

当初、猛烈な拒絶反応を示していた朽木は、
けれどいつの間にかささやかな希望を胸に、試合を楽しむようになっていました。

「あの三人、俺たちのようなへっぽこチームでいっしょに野球をやってて楽しいのかな?」
尋ねる多聞に、
「楽しかったから来るんだろ」
答える俺。

その楽しさが無惨に奪われた過去が目の前に立ちあらわれたとき、
ふたりの中に何かが点ります。
それは、あの時からつながって、託された火。

火はなかったのではなく、
忘れていただけ。
気づいていなかっただけ。
ちょっと、見失っていただけ ── 。

はぁ…
中盤までは、まぁよくある楽しい草野球、もとい青春小説だったのに、
まさか切なく温かく、そして心に火がつく物語に変化するとは。
やられました。

お盆の時期が近づくと組まれる報道特集。
戦争に向かい、敗戦に至る暗い空気の時代。
若者のいのちが鴻毛のように軽く扱われた過去の記録。
その事実が、この日常とこんなふうに交じり合うなんて。

私の中にもつながっている火。
確かにある火。
この火を忘れないように。
この火を絶やさないように。

お盆を前に、この不思議な物語に立ち会えてよかったです。

タイトルとURLをコピーしました