《書評》『夢を叶えるために脳はある 「私という現象」、高校生と脳を語り尽くす』池谷 裕二

読書

新聞の書評欄で本書を知り、これは面白そうだと図書館で借りようと思ったら、すでに予約数が二桁に達していました。
急ぐわけでもないからと予約して、気長に待つこと数ヶ月。
その間に、本書も含まれる「高校生への脳講義シリーズ」の前作『単純な脳、複雑な「私」』を読み、さらに興味をかき立てられました。

そして先日、ようやく資料確保のお知らせが。
早速図書館に足を運び、手にずしりと思い本書を受け取り帰宅しました。
(蛇足ですが、貸出カウンターの向こうから差し出された本の分厚さに、一瞬怯みました。末尾掲載の補講を除く本文全633ページ!著者自ら「長すぎるくらい」というほど長大で、しかし、著者の脳観を描ききるにはこのボリュームが必要だったのです。この本にかける著者の意気込みが、「はじめに」から伝わってきます。)

夢を叶えるために脳はある [ 池谷 裕二 ]

楽しさの次元を増やす──

前作『単純な脳、複雑な「私」』では、「私」の無意識の振る舞い、無意識と繋がる脳、脳が作用するしくみなどを、脳科学の研究成果を紹介しながら講義形式でわかりやすく紐解いてくれました。

その前作からおよそ10年。
10年の歳月で進展した脳研究、その間に発見された最新情報を入れ込みつつ、著者自身も成長したことで、より成熟した視野から高校生たちと脳について語り尽くします。
語り合う話題は、脳についてはもちろんのこと、科学、生命、人間、宇宙、そして倫理、哲学に至るまで、広範な領域を巡ります。

脳はなんのためにあるのか。
脳のない生物が大多数を占める地球上で、脳を持ってしまったヒトは、なんのために生きているのか。
「夢を叶えるために脳はある」の真実とは••••••

脳研究者である著者と知的好奇心旺盛な高校生との対話が、脳と人間の関係、人間とそれを取りまく世界のあり方、その深淵へと、読むものを誘ってくれます。

 私たちが自分の生き方に対して問うべきは「人生にどんな意味があるか」ではなく、「どんな意味のある人生にしたいか」です。意味を訊くのではなく、意味を創り出す。外部に答えを求めるのではなくて、自分の内側に答えをこしらえる。このプロセスにこそ、ヒトが生きる意味があります。現実と虚構を往来することは、この問いを究める切符を手にするようなものです。この往来によって、ときに自己乖離感を覚えることになるけれど、でも、そうした主体の不透明さこそが、人生の応援歌になるのです。

p654

読めば読むほど、脳とはなんなのか、ヒトとはなんなのか、と考えさせられます。

脳がおこなっていることは、ひたすらに電気信号のやりとりのみ。
頭蓋骨の内側という暗闇の中で、ピピピ信号の世界に浮かんでいる脳。
どんな情報も、どんな刺激も、
すべて電子パルス信号「ピピピ」で受け取り、
ピピピを解釈し続けます。

ピピピのみの世界。
光はない。
真っ暗闇。
無音。
無味。
無臭。
無感覚 ……

なんて無味乾燥な世界。
それなのに、
そんな世界に置かれてながらも脳はなんとかやっている ──

その事実に思いを巡らすだけでもなんだかぼーっとなってしまうのですが、
本書を読み進めると、仮想と現実があやふやになってきます。

自分では見ることのできない脳。
そんな脳がピピピ信号から創り出す仮想世界。
脳の中の記憶によって仮想世界はリアリティを生じる。
でもその記憶が、実はまったく盤石ではなかったら ……

ヒトである以上、何をするにも脳を使います。
この世界を脳が捉え、その捉えた「世界」で私たちは脳を使って生活している。
脳あってのこの世界。

そんな脳を巡る思考の旅は、
進んでいるのか足踏みしているのか、
なにが現実でなにが仮想なのか、
夢と現を行ったり来たりするようで
もどかしくもあり、
あいまいでもあり、

本書に紹介されている、宮沢賢治のこんな言葉が、真に迫ってきます。

 わたくしといふ現象は
 仮定された有機交流電燈の
 ひとつの青い照明です
 (あらゆる透明な幽霊の複合体)

答えの出ない問い。
未解明のことに対して理解を深めるプロセス。
知ることでますます深まる謎。
メビウスの輪を1周まわり、2周まわり、元の場所に戻ってくる。
けれども、見える景色が違っている。
未来の光を感じられる ……

著者が伝えたかったのは、思考する楽しさです。
真実はいくつもの階層でできている。
思考することによって真実のその階層性に気づき、
あちこちの階層を自由に飛躍できるようになる。
それが、楽しさの次元を増やし、
より豊かな人生へとつながります。

読み終わった今、私の脳裏に一つのイメージが刻まれています。

真っ暗な頭蓋骨の内側で水の中に浮かぶ脳。
頭蓋骨の中に閑かに佇む脳。
ピピピ信号の純世界 ──

そのイメージは、私の心をしんと静めます。
そして、脳のすごさが、今こうして実感を伴って生きている不思議さが、
じわりと迫ってくるのです。

自分の内側に答えをこしらえるために。
より豊かに人生を楽しむために。
「脳」という、
「私」という、
メビウスの輪を巡る長大な旅路でした。

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