ヨーガをめぐるこぼれ話 ─ 風のなかで ─

ヨガ余聞

今日はムーンデイ、新月です。

ヒトも自然の一部。
月の満ち欠け、潮の満ち引き、
日が昇り日が沈み、季節が確実に巡りゆく …
その大いなる循環の中で生かされています。

そんな循環の中で風子(ふうこ/17歳の柴犬)は旅立ちました。
あの日から、もうすぐ3か月が経とうとしています。

……──…──…──…──…── 🌒 ──…──…──…──…──……

風子が旅立った朝は、
あかるい朝日が風子の全身を温かく包んでいました。
でも、あの朝と同じ時間が、
今ではすっかり闇のなかです。

青々と茂っていた街路樹の葉はほとんど落ち、
残った枯葉が舞う季節になりました。

踏むとパリパリと音を立ててもろく崩れる地面の落ち葉。

風子が旅立ってから、
私の心もカサカサと乾いた音を立て、
まるで干からびているかのようでした。

私は風子に出会った頃、
過去の病気を長くひきずり、
生きることそのものに対する怖さを抱えながら
日々を過ごしていました。

ところが、
小さな風子は私を一瞬もじっとさせてくれません。
キラキラと輝く瞳で見つめられると、
この小さな命を楽しませてあげたいという想いが溢れ、
休日の読書は風子との外出に取って代わりました。

それまでつけていた細い革ベルトの時計をG-SHOCKに変え、
スカートをパンツに着替え、
かかとのある靴をスニーカーに履き替えました。

体力のないままでは風子の相手はできないと、
ランニングを始め、
ヨーガに出会い、
万年不調だった私はいつの間にか消えていました。
風子が私を引っ張り上げてくれたのです。

その風子が逝ってしまった。
それが自然のことわりとはいえ、
受け止めきれない悲しみでした。

風子とともに、
私の中の気力が抜け落ちてしまったかのような、
空虚さが続いていました。

そんな自分を内にしまい、
今年最後のヨーガ教室。

ある生徒さんが
「先生、これ、ご存知ですか?」
と、手のひらの上の丸いころんとしたものを見せてくれました。

ガラス細工のような、
瑪瑙細工のような、
何とも繊細で可愛らしい形に、
内側から鈍く光りを放つ輝き。
琥珀色のその丸いものは、
ムクロジの実でした。

私はムクロジの実というものを初めて目にしましたが、
それを見た時、
冷たく乾いていた胸の奥が、
ふわっと解けた感じがしたのです。

もうどんなことも楽しめない。
どんなことにも感動できない。

そう思っていたエゴの私など意に介さぬように、
感動している衝動がありました。

それは、
風子がかつて私に教えてくれた、生きる力でした。
命の輝き、
生の喜び、
そして、
生きるということ。

風子が逝った寂しさに、
私の心は完全に囚われてしまっていたけれど、
それでも呑み込まれずに残っていたものが、
たしかにそこにありました。

ムクロジの実を手のひらに乗せてもらった時、
なぜだかふっと、
「この中に風子がいるような気がする」
と感じました。
軽く振るとコロコロと転がる真っ黒な種子は、
これから芽吹くための力を
ぎゅっと蓄えているのです。

風子が弱りはじめた頃から、
私はまた、
生きることに対して怖さを覚えるようになっていました。

自分の力を感じられず、
世界がふたたび、怖い場所に戻ってしまったかのような感覚。

それでも、
あの頃の自分に戻ってはいけない。
戻ったら風子に申し訳ない。

そう思って踏ん張りながら、
過ごしてきました。

私の力は今、
小さく縮こまってしまっているかもしれません。
それでもまた、
芽吹くことができる。

風子、
風子が思い出させてくれたものを、
今度は自分で思い出すから。

これからもずっと、
見ていてね。

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