ヨーガをめぐるこぼれ話 ─ 風のささやき ─

ヨガ余聞

今日はムーンデイ、新月です。

ヒトも自然の一部。
月の満ち欠け、潮の満ち引き、
日が昇り日が沈み、季節が確実に巡りゆく …
その大いなる循環の中で生かされています。

そんな循環の中で、我が愛犬が風になって旅立ち、3週間が経ちました。

……──…──…──…──…── 🌒 ──…──…──…──…──……

5月に生まれ、風の匂いをくんくんするのが好きだったから「 風子 (ふうこ) 」と名付けた柴犬の女の子は、17年前の七夕の前日、手のひらに乗るような小ささで我が家にやってきました。

何もわからず、つぶらな瞳で私を見つめる存在を抱きながら、
「この子は私が守るんだ」
と強く思ったことを、今でも鮮明に覚えています。

そんな風子は病気らしい病気もせずにすくすく育ち、母犬の体重をゆうに越す立派な成犬になって、17年4ヶ月を共に過ごしてくれました。

朝は風子が歩く音で目を覚まし、
家を出る時にはお見送り。
帰宅してドアを開けると走り寄り、
寝るまで視界のどこかにいる風子。

そんな生活が17年も続いてきたのに、
その風子が、

いない。

風子が旅立った直後は、何をしていても
「でも風子がいないのに」
と考えている自分がいました。

スーパーで棚を眺めながら「風子がいないのに」。
お風呂に湯を入れようとして「風子がいないのに」。
決まっていた予定を前にして「風子がいないのに」。

何もかもが、むなしい。
何もかもに、意味を感じられない。

「でも風子がいないのに」という思考は、
私を、殺伐とした虚無の穴へ、一気に引きずり込んだ。

3週間経った今でも、ふとした瞬間に落ちる。
落ちるたびに、
自分がどれだけ風子に寄りかかっていたのかを、
思い知らされます。

「風子がいるから大丈夫」
と無意識に思っていた自分に、気づかされるのです。 

私は幼少期に拒食症を患ってから、自分に価値を感じられずに過ごしてきました。

大人になるにつれ、そんな自分をなんとか誤魔化して生きるようになりましたが、自分に価値があると思ったことも、自分を好きだったことも、ありませんでした。

そんな中で風子に出会い、
ヨーガに出会い、

風子を愛することで存在自体の愛おしさを知り、
ヨーガを学ぶことで存在自体の価値を知り、
そのままの自分に幸せを感じる瞬間も増えていきました。

だからもう、私は完全に自己受容できているのだと思い込んでいたのです。

でも違った。

風子が受け入れてくれたから、自分の価値を感じられた。
風子が頼ってくれたから、自分に自信が持てた。
そのすべてを自分の力だと、錯覚していた。

そのことに気がつくと、
風子が耳元でささやいているような気がしてきました。

「もう私に依存するのは終わりだよ。」
「そのままの自分の価値に、そろそろ気づいてもいいんじゃない。」

そんなふうに ──

風子を守る。
風子を育てる。
風子を養う。
風子を愛する。
風子と共に過ごす……

17年4ヶ月という長い長い月日は、私を大きく育ててくれました。

無機質だった日常を、色鮮やかで躍動感あふれるものに変えてくれた。
押し殺していた感情を、解放してくれた。
守っていたつもりだった風子に私は守られ、
育てていたつもりだった風子に育てられ、
受け止めきれないくらいの愛をもらいました。

風子。

胸が潰れそうになるような感情はまだなくならないけれど、
風子の声を、確かに聞いたよ。
ありがとう。

風子。

でもやっぱりまだ、
さびしいよ。

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