今日はムーンデイ、新月です。
ヒトも自然の一部。
月の満ち欠け、潮の満ち引き、
日が昇り日が沈み、季節が確実に巡りゆく …
その大いなる循環の中で生かされています。
そんなムーンデイに、「ヨーガの学び直し」について思いを巡らせてみました。
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8月から、ヨーガ療法の学びが始まりました。
以前にヨーガを体系的に学んだのは、RYT200(国際的なヨガ指導者資格の基礎講座)トレーニングの時。
その頃は、佐保田ヨーガ(心身を無理なく調和させ、日常生活に活かすためのヨーガ)の教室に一生徒として通っていましたが、
思わぬ指導者へのお誘いに嬉しさ半分恐れ半分、
なにか準備をしなければ、という思いに駆られて受けた、トレーニングでした。
あれからもう、およそ7年。
その時のトレーニング以降も、佐保田ヨーガをベースとした指導を行いながら、哲学、瞑想、陰ヨガ、チェアヨガ……その時々に惹かれる学びを続けてきました。
RYTのトレーニング中に聞いた「引き出しを増やすことが大事」という言葉に倣い、思うに任せて引き出しを増やし続けてはきましたが ──
最近、自分の中のヨーガがどうもすっきりしない感覚があったのです。
増えた引き出しの中に溜め込まれたものを、自分で扱いかねている感じ。

そんな時、伝統的なヨーガを、佐保田ヨーガとはまた違う角度から学べるヨーガ療法を知りました。
また引き出しを増やすんかい!というツッコミが聞こえてきそうですが、
いえいえ、これは違います。
とっちらかった引き出しの中身を、自由自在に扱えるように整えるためのもの。
ヨーガの智慧をもっと生徒さんたちに伝えたい!
そう思っていた時にヨーガ療法を知ったのも、何かのご縁だと感じています。
さて、
そうして始まった学び。
講座の開講は月に1回ではあるものの、当日までの予習と受講後の宿題がもれなくついてきます。
そしてこの宿題が、過去や現在の自分の状況を鑑みて分析し、記述する、
つまり内省を必要とするものなのです。
それはそうですよね。
ヨーガとは本当の自分を知っていくためのもの(強引なまとめではありますが)。
内省なしには進まないのです。
そして、1回目の宿題を提出して見えてきたのは、
相も変わらず「もっともっとの欲に囚われている」自分。
はい。分かってはいましたよ。
足りないという焦燥感が、ジリジリと私の内側を焼いている感覚がありましたから。
ですが、
それをただ感じているだけなのと、
宿題という形で文章に書き出して提出するのとでは、
明確な違いがありました。
あぁもう、認めるしかない、という感じ。
そして認めると、いくらか楽になりました。
抵抗するから余計に辛くなる。
これも頭では分かっているのですが、無駄な抵抗をいろんなところでしております。
相変わらず(トホホ)。
でもこんなふうに、
これから続くヨーガ療法の学びを通して、
情けない自分も認めていき、
10回の講座が終わった時にさて、どうなっているのか。

引き出しの整理とは、自分の内側を整えること。
この学びを始めることにそんな意図はなかったのですが、
やはり必要なタイミングでのご縁だったのだと感じています。
