ヨーガをめぐるこぼれ話 ─ 「忙しい」という経験は、何の学び? ─

ヨガ余聞

今日はムーンデイ、満月です。

ヒトも自然の一部。
月の満ち欠け、潮の満ち引き、
日が昇り日が沈み、季節が確実に巡りゆく …
その大いなる循環の中で生かされています。

そんなムーンデイに、「忙しい」ということについて思いを巡らせてみました。

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最近、忙しさがピークです。

この夏(2025年)は「記録的な猛暑」と連日のように報道されていますが、
私にとっては、
猛暑よりとにかく忙しい!

忙しさで記憶に残りそうな夏になりました(といっても、9月に入ってもまだまだ夏は終わっていませんが……)

私は学ぶことが好きです。
学生ではなくなった後も、常に何かを学んでいた気がします。

ですが、この夏は学びの開始が重なりました。
7月から始まったコミュニティ。
8月からスタートしたヨーガの学びが2つ(そのうち1つはもっと早くに始まる予定だったのですが、意図せず8月スタートとなりました)
しかもそれぞれ、聞いて終わり読んで終わり見て終わり、ではなく、実践に落とし込みながら進んでいく学びです。

もちろん、学びとは本来そういうものではあるのでしょうが、
「聞いて新しい知識を得られた、わーい」
「読んで思いもよらない考え方を知った、楽し〜い」
という学びもあるじゃないですか?

だけど今回は、すべてがっつり、実践なのですよね。

どれもこれも、自分がやりたくて始めたこととはいえ、
時々やることの多さに
「おぉぉぉ、ちょっと、ちょっと待って」
と、呑まれそうになります。

けれどもそういう時、
ふっとヨーガを学ぶ中で聞いた言葉を、思い出すのです。

 忙しいとは、心を亡くすと書く ──

心を亡くすとは、どういう意味でしょうか?

それは、
「今に集中していない」
ということ。

過去や未来に意識が飛んで、心が今にいない状態。

それが、
心を亡くす=忙しい
なのです。

そんなこと言ったって、
忙しいものは忙しい!!!
と反論したくなる気持ちもあります。

でも確かに、
忙しい時も、
ゆったりとしている時も、
今という瞬間はどちらも同じ。
その瞬間にしていることは、目の前にある一つのことだけなのです。
マルチタスクという考え方もありますが、それは、脳がやることを瞬間瞬間で切り替えているだけで、
その一瞬を見えば、たった一つのことをしているはず。

だから、忙しいと感じるのは、「今に集中していませんよ」というお知らせなのです。

私たちは目標や計画を立てます。
それは、今に集中するためです。
過去や未来にさまよい出て、すぐに不安や心配を始める心を今に繋ぎ止めるために、計画を立てます。

どんな状況であろうと、今できるのは目の前の一つだけ。
することの計画を立てて、今に集中するしかありません。
そして、今に集中すればするほど、どんなことも効率的に行えます。

忙しさは、今に集中することを学ぶための経験。

目の前の一つ一つに淡々と集中する。
今すること、できることは、それだけなのです。

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