ヨガを学ぶ中で、数年前に「十牛図(じゅうぎゅうず)」というものを知りました。
知ったといっても、その時は10枚の絵の説明を聞き、
「へえ、面白いな」
「ヨガ哲学と考え方が似ているな」
と思ったくらいで、さらに自分で調べてみることはありませんでした。
それでも、頭の片隅にはぼんやりと、10枚の絵がこびりついていました。
いつか機会があればもう少し探めて…
と思いながら深められず。
そんな中、1冊の本を見つけました。
曹洞宗徳雄山建功寺住職で庭園デザイナーの桝野俊明さんと、
俳優の松重豊さんが、
「十牛図」について対談しているこの本です。
私の頭にこびりついていた「十牛図」。
何がそんなに引っかかっているのか。
このお二人の対談なら楽しく理解できそうだな、と思って読み始めました。
「正解」を出すことより大事なこと
ヨガ哲学に触れるまで、
「物事には全て正解がある」
と思っていました。
人生の大半をそう信じて生きてきたなんて今にして思えばおどろきですが、
でも事実です。
そんなわけで、
常に自分の外に正解を求めていました。
正解があるなら早く知りたいし、
正解が分からなければもっともっとと求めました。
だから、常に焦燥感がありました。
でも、物事の大半には正解などないし、
私の正解はあの人の正解ではない。
今日の正解は明日には正解でなくなっているかもしれないし、
10年後、50年後、100年後なんて全く別の価値観、
別の世界です。
人間の人生もそう。
ただひとつの正解などありません。
正解がないのなら、どう日々を過ごせばいいのか。
その過ごし方を、「十牛図」の過程とお二人の体験を通して
分かりやすく教えてくれます。
枡野 運命の歯車がぐるぐる回る音が聞こえてくるようなお話です。
p116
松重 ええ、もう自分がどうしよう、こうしようじゃないんだなと思いました。これが僕の運命なんだと、観念するしかないというか(笑)。
物事に、人生に、
ただひとつの正解などないように、
予定や計画も絶対的なものではありません。
自分の力で全てをコントロールしているように思っていても、
抗いようのない大きな力がやってきて、
思いもよらないところへ連れていかれることもあります。
正解もないし、
コントロールもできない。
そうであるならば、
自分の外に何かを求めるのではなく、
自分の内へ目を向ける。
人生のどこかの時点で、
自分の内側へ目を向けて、
自らの生き方を見つめ、
それと向き合う。
そういうことをしなければ、
いつまでたっても焦燥感はなくならず、
自分に納得することはできないのだと、
「自分がやっていることは間違っていない」と思えるようにはならないのだと、
お二人の対談で自然に思えるようになりました。
「十牛図」は、禅の修行を深め、悟りに至る道筋を表した絵解き図です。
修行というと厳しいものだし、
悟りに至るなどと聞くと腰が引けてしまいますが、
悟った人はもうこの世にはいません。
この地球上に今生きている人たちは、皆、悟りに至っていないどんぐりの背比べ状態。
それぞれが自分に必要な学びの道筋を歩んでいる段階です。
歩むとき、そのゴールの情景を知っているかどうか。
ここを目指して生きていきたいという情景を思い描けるかどうか。
その情景は、私たちの歩みを支えてくれます。
たとえ今生でそこへ至らなくても、
その情景を知り、
今の自分がどこにいるのかを教えてくれる「十牛図」。
そんな「十牛図」が、本を読み終わると少し身近に感じられました。