今日はムーンデイ、満月です。
ヒトも自然の一部。
月の満ち欠け、潮の満ち引き、
日が昇り日が沈み、季節が確実に巡りゆく …
その大いなる循環の中で生かされています。
そんなムーンデイに、春の疲れについて思いを巡らせてみました。
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私にとって春は、「何かしなきゃ」の季節でした。
進級、進学、新生活、新しい門出 ……
新聞やニュースで晴れやかな始まりを目にするたびに、「私も何かしなきゃ」という焦燥感に駆られる、少し苦しい季節。
何かって何を?
何をしなきゃいけないの?
そんなふうに冷静に問いかけている自分もいたはずですが、湧いて出てくる焦燥感は止めようがありませんでした。
ですが、「何かしなきゃ」つまり「しなければいけない」という思考は要注意です。
「しなければいけない」。
それは多分にエゴの意識から生じています。
しかも、今の自分ではダメだ、今の状況ではダメだ、というネガティブな意識。
否定、抵抗、焦り、苛立ち ……
そんな思考で春を過ごすなんてもったいない!
── 今でこそそう思えるのですが、かつてはエゴの意識に強烈に囚われていたのでした。
それでも、ヨガ哲学を学ぶようになって、そんな焦燥感に駆られることのない春が増えてきました。
否定からはなにも生まれない。
今の自分も今の状況も、ダメなことなど、なに一つない。
心の底からそう感じられ、
春の息吹を、
新しい季節の始まりを、
存分に謳歌していた年もあったのです。

ところが、今年の春はどうにもエゴの意識が強く、焦燥感が募りました。
春どころか、年明け早々、なんなら去年の後半あたりから、
気がつくと「何かしなきゃ」と思っている自分がいました。
散々学んだはずなのに……
今の自分、今の状況、
なに一つ否定する必要などないと分かっているはずなのに……
「はず」と真の理解のあいだには、天と地ほどの開きがあったのでした。
エゴの意識はとてもエネルギーを奪います。
外へ外へと向いている意識とともに、エネルギーも外へ外へと流れ出し、ぐったりとした疲れを生じさせます。
春は予定がぎっしり詰まり、やることが多いのも事実ですが、そんなやることに対しても「しなければいけない」というエゴの意識で対応していると、半端ではない疲労感が襲ってきます。
否定から生まれる「しなければいけない」と、やることの多さに追われるような「しなければいけない」。
そんな二重のエゴの意識にからめ取られ、エネルギーがダダ漏れしていたからか、歯茎は腫れるわ蕁麻疹は出るわ……
いよいよカラダが猛反発。
この疲労感、この体調不良は、なにか間違っているよ、というお知らせなのです。

“人生は、できることに集中することであり、できないことを悔やむことではない”
つい最近、スティーブン・ホーキング博士のこんな言葉が目にとまりました。
あぁそうか。
どうやら私はいつのまにか、できないことを悔やむ時間を過ごしてしまっていたようです。
何かにチャレンジすることは素晴らしいことですが、否定から生まれた「しなければいけない」はチャレンジ精神ではありません。
チャレンジ精神から始めたことが、いつの間にか「しなければいけない」に変わってしまっていたり、
無意識の「しなければいけない」をチャレンジ精神だと勘違いしていたり……
そんなふうだから、何をやってもぐったりとしてしまっていたのでした。
“人生は、できることに集中すること”
「しなければいけない」のではなくて、やることに集中する。
いま目の前のことに集中する。
ヨガ哲学の講座の中で、繰り返し教わってきた生きる姿勢です。
ここから再びそのように過ごしていけば、きっとエゴの意識も少しずつ、弱まっていくはず。
外へ外へと流れ出していたエネルギーの方向を変え、自分の内側を満たしていけば、疲労感や体調不良もおいおい治まっていくでしょう。
最近ようやく、麗らかな日差しやキラキラと輝く新緑が、目に入るようになってきました。
生きることに焦るのではなく、自分のペースとタイミングで、人生を歩めばいい。
遅ればせながら、この春を楽しみます。
