ヨガをめぐるこぼれ話 ─ 人生にご縁を織る ─

ヨガ余聞

今日はムーンデイ、満月です。

ヒトも自然の一部。
月の満ち欠け、潮の満ち引き、
日が昇り日が沈み、季節が確実に巡りゆく …
その大いなる循環の中で生かされています。

そんなムーンデイに、人生にご縁を織る、ということについて思いを巡らせてみました。

先日、今年最初のヨーガ指導者の勉強会がありました。
その中で、先生が「ご縁」についてお話しくださいました。

その場に集まった指導者たちは、私も含め、指導者になるつもりでヨーガの門を叩いたわけではありません。
ある人はカラダのため。
ある人はココロのため。
そして私は、
たまたま目にしたチラシが気になり、体験で参加したのが始まりでした。

それが今、こうして指導者として一堂に会している。
その不思議さ。
これこそがご縁であり、その有り難さに感謝するお話でした。

ヨーガとのご縁、指導者同士のご縁、生徒さんとのご縁 ……
私たちの日常は、さまざまなご縁で成り立っています。
その不思議さを改めて考えていると、サマセット・モームの『人間の絆』に出てきたペルシャ絨毯の一節が、思い出されました。

「絨毯織りの職人は、なんの目的もなく、ただ美しいものを作る喜びにひたってあれを織った。
 そんなふうに人生を生きることもできるではないか。
 何ひとつ思うような選択ができないまま生きてきたと思っている人でも、
 絨毯織りのように自分の人生をみれば、それがひとつの模様になっているのがわかるはずだ。
 人生における行動や感情や思考などすべてのことを素材にして、模様を描くことができる。
 それは整然としたものかもしれず、複雑なものかもしれず、
 本人が勝手に選んだ幻想にすぎないかもしれないが、
 それはどうでもいい。
 そうみえるのだし、本人にとってはそれが現実なのだから。」

人生という縦糸(どこからともなく湧き出て、どこへともなく流れる河のようなもの)に、
さまざまな横糸を織り込んで、
思い思いの模様を描く。

その横糸に、ご縁という出会いも含まれるのだ ──
唐突に、そんなことを思いました。

日々の出来事は決して美しくは整っておらず、
むしろ整っていないほうが自然なのかもしれません。

でも今この瞬間も、絨毯は織り続けられているのであり、
そこには、
小さな自分では計り知れない何ものかが、展開しているのです。

今日も新しいご縁がありました。
昨日までは見知らぬ他人だった方たちと、面白い体験を分かち合うことができました。
それもまた、人生の横糸として織りこまれたはずです。

人生にご縁を織る ──

どんな絨毯ができあがるのかを楽しみながら、日々のご縁を大切にしていきます。

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