私が初めて読んだ著者の作品は『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』。
そのリズム感あふれる文章に魅了され、そこから読み出した他の作品でも小気味のよい文を楽しんできました。
そして今回。
英国事情に特に興味があるわけでもないのですが、著者のエッセイなら楽しみながら時事に精通できるかも、などという軽い気持ちで手に取りました。
そんな本書は、軽い気持ちで読み進めるには重く暗い内容が続く記録でした。
がやはり、著者のつむぎ出す筆致に引っ張られ、いつの間にか読み終えていました。
哲学
私はヨガ哲学を学んでいるので、どうしてもそれに関連した部分に注意が引き寄せられてしまいます。
著者の今までの作品にも哲学的要素に触れる部分が随所にありましたが、今回も私の心を刺激してくれました。
本書は、2018年から文芸誌「群像」に連載された「ブロークン・ブリテンに聞け」をまとめたものに、単行本出版後に書かれた時評も収録され、2018年から2023年までの激動の英国状況をカバーする時事エッセイ集になっています。
EU離脱、格差と分断、コロナ禍とロックダウン、エリザベス女王逝去に緊縮財政、果ては支持されるストライキ …
日本には十年一昔という言葉がありますが、十年どころか五年一昔といえるほどに激変している英国社会の「ブロークン」状況が記録されています。
「ブロークン」
「何かが壊れている」
みんなが感じているこの状況の元凶はなんなのか。
それを、著者の鋭い視線を通して一緒に観察し、考えることになります。
うちの息子は、イングランドのブライトンという町でカレッジに通っており、選択科目の一つとして哲学を学んでいるが、この映画を見てこう言った。
p332
「小学校でも哲学を教えるべきだと思う」
どうしてそう思うのか尋ねると、彼は答えた。
「例えば、校庭で誰かと喧嘩をするときや、教室で誰かにいじめられるとき、どんなに難しい算数の問題が解けたってその知識は役に立たない。実地で僕たちを助けてくれるのは哲学だ。哲学というのは、実は最もプラクティカル(実践的)な学問なんだ」
著者がこの前後で書いている通り、哲学には、高尚で壮大で、時間的に長いスパンのもの、というイメージがあります。
確かにそういう面もあります。
毎日毎日時間に追われ、生きるか死ぬかというカツカツ、ぎりぎり、一杯一杯の状態で生活していては、哲学なんてやってられるか、というものです。
でも息子さんが言うように、校庭や教室といったごく身近な場所でこそ哲学は力を発揮する、ということもまた事実です。
哲学は、ありふれた生活に生かされてこそ意味があります。
哲学は、「当たり前」とされていることに「なぜなのか」と問うものです。
ありふれた生活の中で、当たり前だとされていることを当たり前だと受け入れず、なぜなのかと問う。
それが、人生を変えていきます。
ところが、そういう思考を身につけるのに、問いを忘れた大人になってからでは難儀します。
だから、人生をも変えていく(変えられる)哲学を、「当たり前」にまだ引っかかり、気になる年齢の子どもたちに教えることが必要になるのです。
実際にその試みが北アイルランドで行われ、『ぼくたちの哲学教室』というドキュメンタリー映画になって、2023年に公開(日本)されました。
英国のEU離脱がつくりだした北アイルランドの複雑な立場。
そこに住む大人たちにとって、対立と暴力は「生活」でした。
でも、
対立が緩和された時代に生まれ育った子どもたちにとっては違います。
そんな子どもたちが哲学を学ぶことで、周囲にいる大人たちも巻き込んで、
争ってきた人たちの町を、考える人たちの町にしようとする挑戦。
「哲学とは、ライフ・チェンジャーなのである。」
著者の言葉が力強く響きました。
「五年一昔」といえるほど、英国の状況ががらりと変わっている様子が本書を読んでいると伝わってきます。
ただし、実はひとつだけまったく変わらないものがあるそうです。
それが、緊縮財政。
緊縮財政政策が継続する中で、経済が壊れ、それ以外のものも壊れ始めています。
でもそれは、英国だけの話ではありません。
緊縮と賃金カット、物価高と生活苦、無給ケアラー、出生率の低下、キーワーカーのストライキ …
どれもこれも、日本のことかと錯覚しそうな内容です。
「何かが壊れている」は、日本でも無視できない感覚なのです。
「ブロークン」の状態から抜け出すためのヒントになる時代の記録。
それを、英国の地べたから、時に哲学的な視点から見つめた一冊。
今回も期せずして、「なぜなのか」と思考し始めている自分に気がつきました。