《書評》『紙つなげ! 彼らが本の紙を造っている 再生・日本製紙石巻工場』佐々 涼子

読書

佐々さんのエッセイとルポタージュの作品集『夜明けを待つ』を少し前に読みました。
読む者の心を揺さぶるノンフィクションの原点を垣間見せてくれるような1冊です。
そこに収められた作品に触れているうち、まだ読んでいない著者のノンフィクションを読みたくなりました。

私は本が好き。

それも、特に紙の本が好きなのに、その紙を誰が、どのように造っているのかを知りませんでした。
佐々さんのこのノンフィクションがなければ、この先も知ることがなかったかもしれません。

この貴重な巡り合わせに感謝しつつ、ページをめくりました。

紙つなげ! 彼らが本の紙を造っている [ 佐々 涼子 ]

本が手元にあるということ

紙は生まれた時から当たり前のように手元にあって、
正直なところ、それを特別なことだとか貴重なことだとか、感じたことがありませんでした。
なんと贅沢な、とも思いますが、実際そうなのです。

感じたことがない、というより、紙について深く考えたことがなかった、といった方が正しいでしょうか。
もちろん、紙がパルプでできていることは知っています。
おそらく、学校教育のどこかで教わったのでしょう。
一般的にパルプは木材の繊維からできているので、そこから環境問題の話を聞いたことがあるような気もします。

でも、それだけです。
あくまで、お勉強の範囲。

毎日届く新聞、そこに挟まっているチラシ、幼い頃に読んだ絵本、重くてあまり手に取らなかった図鑑、初めて自分で買った新刊書、手持ち無沙汰でめくる雑誌、ちょっと値が張る写真集 …

いろいろな紙を手にしてきましたが、その紙がどこでどのように造られているのか、恥ずかしながら疑問に思ったことすらありませんでした。
その事実に、いまさらながら衝撃を受けています。

言うまでもなく、紙の本が好きな私がここに存在できているのは、紙の本があるからです。
生まれた時から電子書籍しかなかったならば、
新刊の香り、折り癖のない本を開く時のワクワク感、本をめくる幸せ、読み終わって感じるその重み ──
などを体験することもなかったでしょう。

それなのに、
紙があることが当たり前すぎて、
その紙をだれが造っているのかと、疑問に思ったことすらなかったなんて。

本が手元にあるということ。
2011年3月11日の未曾有の大震災を経てなお、本が手元にあるということ。

その幸福、有り難さを認識させられるに十分な、決死の覚悟が綴られた記録でした。

 日本製紙は、なぜこんなにも必死になって石巻を立て直そうとするのか。それは結局のところ、出版社を経て、我々の手元にやってくる本のためなのである。彼らの出版に対する供給責任を当然だと思う理由はどこにもない。出版は、年々縮小傾向にあるのだ。彼らが震災を機に早目に方向転換を図るという可能性は、ゼロではないだろう。
 もし、石巻工場が閉鎖となったら、出版業界はどうなっていただろう。
(中略)
 大きな傷を負った日本製紙は、なおも出版を支えようとした。この決断は、人々の家の本棚に、何年も何十年も所蔵される紙を作っているという誇りから来るものだ。

p137

紙について深く考えたことがなかったとはいえ、好きな紙やあまり好みでない紙はありました。
本にしたって、
「この本の感じ、何だか好きだなぁ」
とか
「何でこの本、こんな紙でできているんだろう」
とか、
勝手な感想を持ったことは多々あります。
でもやっぱり、それは目の前にあるすでに完成している本についての印象で、その本の元である紙の製造についてまで意識が伸びることはありませんでした。

なぜなんだろう。

ひとつには、紙の製造に、紙の本の継承に、あんなにも真摯に取り組んでいる人々がいるということを知らなかったから、という無知も関係していたのだと思います。

「8号(出版用紙を製造する巨大マシン)の紙を出版社が待っている」

その事実に報いるために、出版社と本を待つ読者のために、日常生活が奪われ、電気もガスも水道も復旧していない混乱の中、「ぐちゃぐちゃ言ってると間に合わないから、とにかくやろう」と作業を進め、不可能と思われた8号マシンの半年復旧を成し遂げた人々。
そこには、自分たちが日本の出版を支えている、自分たちが紙の本を生み出している、という日本製紙石巻工場従業員たちの矜持が、込められていました。

私はこの書評を書きながら、8号マシンで造られた紙のページをめくっています。
昨日も紙の本を読んだし、一昨日も一昨々日もその前も、物心ついたときからずっと、紙の本と親しんできました。
でも、その本で手を切った記憶はありません。
そしてそれも、この本を読むまでは当たり前のことでした。

しかし、それは決して当たり前のことではなく、彼ら無名の職人たちのすごい技術、研究、ノウハウ、経験、そして優しさが創りだしているものだったのです。
そんなことさえ今日まで知らず、当然のこととして受け取ってきました。

日本製紙石巻工場の方々が歩んだ震災の絶望から工場復興までの道のりを知った今、紙の本を見る目が変わりました。
本が手元にあるということは、森林から始まる長いリレーのたすきが私のところまで届いたということです。
それは壮大なギフトです。
紙の本を読むということは、そんなギフトを受け取っているのだということ。
そのことに、やっと気がつくことができました。

紙の本が好きだった私は、ますます紙の本が好きになり、
そして、
もっと親しみたいと思うようになりました。
本好きな私が本の紙について知る。
それはやはり必然だったのだと思いながら、最後のページを閉じました。

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