《映画レビュー》『プロミスト・ランド(2024)』 マタギ魂が継承するもの

映画

何がきっかけかは定かではありませんが、マタギという言葉は子どもの頃から知っていました。
きっかけが何であったにせよ、私にマタギを決定的に印象づけたのは、
おそらく『銀牙-流れ星 銀-』。
熊犬・銀をリーダーに、個性豊かな犬たちが人喰い巨熊に立ち向かう熱血青春漫画です。

そのかっこいいこと!
犬なのに、犬だけど、彼らのドラマに魅了され、夢中になって物語を追っていた記憶があります。

そんなわけなので、マタギという言葉はこの銀たちのかっこよさと強く結びつき、今でも私に憧憬の念を抱かせます。
そんなマタギの映画があると知り、矢も盾もたまらず映画館に足を運びました。
 ( 結末に関する内容が含まれています。これから鑑賞される方は、ご注意ください。)

作品情報
製作年:2024年
製作国:日本
劇場公開日:2024年6月29日
上映時間:89分
監督・脚本:飯島将史
原 作:飯嶋和一『プロミスト・ランド』
     (小学館文庫収録『汝ふたたび故郷へ帰れず』収録)

あらすじ
原作小説の設定は1983年。
映画では時代を明示していませんが、時代性など些細なことなのです。
自然への畏怖と共生が失われることへの焦燥。
見当違いな自然保護を名目とした熊狩り禁止の通達。
何もわかっちゃいない者たちの勝手な言い草など、聞き入れられるはずもありません。
通達に唯々諾々と従う年長者たちが止めるのも聞かず、禁を破った若者は、たったふたりで雪山に分け入ります。

主 演
信行(杉田雷麟)
高校を出て親の仕事を手伝う20歳の青年。
山間の町での閉鎖的な暮らしに嫌気が差しながらも、生きる目的もなく、流されるままに日々を送っています。
「もうマタギなんてどこにもいねぇ」と言い放つ彼は、しかし兄貴分の礼二郎に請われ、共に山へと向かいます。
演じるのは杉田雷麟(らいる)さん。
2002年、栃木県出身。

17年より俳優活動を開始し、19年、阪本順治監督『半世界』で稲垣吾郎さん演じる主人公の息子役を演じ、第41回ヨコハマ映画祭最優秀新人賞、第34回高崎映画祭最優秀新進俳優賞を受賞されました。

礼二郎(寛一郎
マタギの精神の正統な後継者。
信行の憧れであり、兄のような存在。
四年前に妻が出て行ったが、檜原の熊撃ち=マタギであることに誇りを持つ彼は、町での変わらぬ暮らしを望みます。
演じるのは寛一郎さん。
1996年、東京都出身。

17年、『心が叫びたがってるんだ。』で映画初出演。
『ナミヤ雑貨店の奇蹟』(17)や『菊とギロチン』(18)で多数の新人賞を受賞。
今後の公開作には、第77回カンヌ国際映画祭で監督週間に出品され、国際映画批評家連盟賞(FIPRESCI賞)を受賞した『ナミビアの砂漠』、主演映画『シサム』などがひかえています。

マタギ魂

上映時間は89分。
物語説明は映画の序盤でさっと終わらせ、残りの1時間あまりは雪山を進む男ふたりが映されます。

雪を踏む音、
息遣い。
杖を片手に銃を背負い、
自然と一体になっていく。
集落を見下ろす小高い山で手を合わせ、
顔を上げたら歩み出す ──

薄暗い早朝に町を抜け出したふたりは、黙々と雪山を進みます。
禁を破ってでも狩りに出る。
それは、礼二郎がマタギだからです。
山の秩序を守るため、山の神様と繋がるため、
ただひらすらに獲物の熊を追い求めます。


   人はよ、みんな、本当にやりたいことをやるようにできてるんだ
   ほんとに願ったら、必ずそうなっちまうもんだ

マタギの精神を受け継ぐ礼二郎は、当初、何の迷いもないような態度を見せます。
とにかく山に入る。
熊を撃(ぶ)つ。
それが礼二郎のアイデンティティであり、それ以外に何もなく、何もいらない。

しかし、信行との道中に、揺らぎ、苦渋し、葛藤する姿を垣間見せます。

一方、最初から葛藤していた信行は、礼二郎と進む中で次第に芯ができていきます。
礼二郎の覚悟を知り、礼二郎のためにナリコミ(勢子:大声を出して熊を射手のほうへ追い出す人)を行い、礼二郎と一緒に熊を仕留める。

クライマックスにおける信行のナリコミは、彼の苛立ち、抑えきれない怒りを解放するような咆哮で、
全ての音が消失してしまったかのような雪山のなかに、痛切に響き渡ります。

本当にやりたいこととは何なのか。
わかっていたはずなのにわからなくなったそれ。
わからなかったのになんとなくわかってきたそれ。
「ほんとに願う」ことのための、ふたりだけの道行きです。

ナリコミに至る少し前。
強風が吹き付け、雪が舞い上がる山の尾根にふたり並んで座り、無言でのぞく双眼鏡。
その先に熊の威容を発見し、
射手と勢子に別れる間際に短い会話を交わします。

「礼ちゃんのところに絶対熊を追い込む」
「任せたぞ」

そこには、ぎくしゃくとしていたふたりの面影はなく、相棒としての結束を取り戻した若者の姿がありました。

禁じられた熊撃ちは終わりました。
神からの贈りものである熊をほふり、山の神々に祈念する儀式を終え、
自分たちのなかの何かも終わりを迎えた ── 。

儀式の最中に一瞬輝いた礼二郎の顔は、次第に寂しさに取って代わられます。
禁を破った礼二郎に、マタギとしての人生はもうありません。
自分の全てであったマタギを、自らの行いで封印する。
あの澄んだ冷たさを感じさせる行旅は、新たな生を生きるために避けては通れない覚悟の表れだったのです。

マタギに執着していた礼二郎が町から去り、
町に倦んでいた信行が自分の意思で町に残り──

時代は変わる。
狩猟文化は消えてゆき、
自然とのつながりは年々薄れ、
畏怖の念などどこにあるのか。

それでも、そんな時代を生きていくしかないのです。
そして生きていく人間は、たとえ忘れ去ろうとも自然の一部に違いないのです。

礼二郎と信行が進んだ雪山。
あの険しい行旅が綴った魂の行方。

かっこいいとか悪いとかをはるかに超えた大自然の映像詩が、忘れてはならないもののあることを訴えかけてくる作品でした。

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