新聞の書評欄に、著者の新刊
『夢を叶えるために脳はある 「私という現象」、高校生と脳を語り尽くす』
が載っていました。
これは面白そうと図書館で借りようと思ったら、みなさん早い。
すでに予約数が二桁になっていました。
ではその前に、と、
高校生への脳講義シリーズの前作である本書を借りて、読んでみることにしました。
無意識の広大さ
私はよく、学んでいるヨガ哲学の先生に
「あなたは頭で考えすぎる」
と言われます。
たしかに、
頭でごちゃごちゃ考えて、
けれどもそういう時は瑣末な現象に囚われ、
本質を見失っていることが多いのです。
とはいうものの、
長らく自分の外に正解を求め、
その正解を正しいものとし、
その正解に自分を合わせようとして生きてきたので、
油断するとすぐにまた、
何らかの正解を得ようと頭でごちゃごちゃ考えている ──
ということになります。
が、
そんな思考のほとんどが無意識的な脳の振る舞いの結果なのだとしたら …
多くのことを無意識が考え、判断し、決断し、欲情を生んでいるのだとしたら …
この本では、
そんな無意識の振る舞い、無意識と繋がる脳、脳が作用するしくみなどを、
脳科学の研究成果を紹介しながら講義形式でわかりやすく紐解いてくれます。
自分のことは自分で思っているほどわかってない、それが脳のおもしろさ。無意識の世界がものすごく大きくて、意識にのぼる世界はほんの少ししかない。自分でわかるのは意識された世界だけだね。それが意識の定義だ。
p425
でも、人間って傲慢だから、意識された世界こそがすべてだと思い込んでしまうフシがある。今回の講義を聞いて、改めて、意識の世界はむしろ間違っている、つまり「自分のことは実は自分が一番わかっていないのかもしれない」とすら感じた人もいるかもしれない。
著者は、さまざまな例をあげて脳の活動の不思議さを見せてくれます。
因果関係がないにもかかわらずあると思い込んでしまう脳の錯覚。
ありもしないものを見、あるものを無きものとする脳の活動。
点が動いただけで人を想起する脳の早とちり。
正しさなどという概念を、そもそも持ち合わせていない脳。
愛の幻想、恋の拘束を可能にする脳のこじつけ、知らぬ間のウソ。
直感の正しさ、
ひらめきは寝て待ての真実 …
あげればキリがないですが、そのどれもが興味深く、ページをめくる手が止まらないとともに、
意識に対する確信がどんどん揺らいでいきます。
そして、
意識よりも無意識の方が正しい 。
サブリミナルに反応した無意識は、
私たちが意識していないにも関わらず、私たちのあずかり知らぬところで、正しい反応や判断を下す。
つまり、意識にのぼらない裏世界が、そちらの世界の情報を使い、さまざまなことを操作しているのです。
なんだかなぁ。
こんな例を次々と見せられると、頭で考えるって何なのか、とまたまた考え込んでしまいます。
おっとあぶない。
これもまた無意識の操作かも…
ヨガは、無意識(潜在意識)とのつながりが深いものです。
カラダや心のこわばりや緊張は、無意識に溜め込んだ記憶や感情から生じていることも多く、そうした不調をヨガを通して解していくことができるからです。
そんな無意識の重要性を「頭」では理解していたつもりでしたが、
骨の髄までは落とし込めてはいなかったようです。
ですがこの本を読むと、頭の、つまり意識していることの何と頼りないことか。
しかも頼りないだけではなく、それは脳がつくりあげた幻かもしれないなんて。
しかしです。
それがわかって落胆するどころか、なんだか気持ちが軽くなりました。
なぜなら、誰にもある広大な無意識は、意識よりも遥かに正確で正しく、デキるヤツだということがわかったのですから。
今生きているこの瞬間の大部分は、その無意識によって支えられているということを知ることができたのですから。
狭小な意識を叱咤激励し、そんなに考えすぎなくても大丈夫。
そんなふうに思わせてくれる一冊でした。